2004年09月20日

2004年9月 北海道野球観戦…のはずが積丹半島旅行に

2004年9月18日 野球観戦のない野球観戦遠征



ドーム球場の裏側に来ました。これはコンサドーレ札幌が試合をするために芝生です。
ドーム球場の裏側に来ました。
これはコンサドーレ札幌が試合をするために芝生です。

今日と明日は近鉄応援のため札幌遠征だったのだが、選手会ストライキのために試合中止、野球観戦のない札幌遠征となってしまった。私自身の被害額(?)は4万円だけど、古田選手会長の場合は2日で133万円になることを考えるとしれた額だなと感じた。
寝不足のまま福井から一旦実家によってから伊丹、そして新千歳空港へ。そこからは当初予定通り札幌ドームへ。もう少しファンが駆けつけているかなと思ったけど、あまりにも静まり返っていて残念。
日本ハムの選手は室内練習場で練習らしいし…。誰かドームにも来てほしかった。あとはテレビ朝日から取材され、5分ばかり私の想いを伝えてきた。



札幌大通の夜景です。北酒場を歌いたくなってしまうのは私だけ?
札幌大通の夜景です。
北酒場を歌いたくなってしまうのは私だけ?
後輩とジンギスカンを食べてきました。
後輩とジンギスカンを食べてきました。
そしてもう一つの目的の私鉄乗りつぶしを前倒して実行。
東豊線はさっぽろ−福住はすでに乗っていますが、栄町にはまだ行っておらず、琴似−宮の沢は後から開業したために未乗区間として残っていましたので行ってきました。栄町はダイエーの中にヤマダ電機がありました。この両者、一時期だけど業務提携をしていたこともあって、こんな形の店舗が残っているんですかね〜。近くにベスト電器もあるようでした。

そして東西線。琴似から宮の沢に乗るためです。こっちは何年ぶりかなあ。札幌の地下鉄はゴムタイヤなので加速がいい。地下鉄なので感想といっても難しいところ。宮の沢というとスキーのジャンプを思い出しました。
宮の沢駅の地下道、なんでこんなに長いんだ…。冬季の雪を考えてだと思うけど、この距離のボックスカルバートって施工するのにいくら掛かったのかな、と思ってしまいました。

これで札幌市交は完乗だ!
17時にはカプセル・イン札幌にチェックイン。
宿自体は旅の窓口で予約したけど、旅の窓口はその直後に楽天に323億円で買収されたので複雑な思い。とはいえ3200円であり安いかな。
施設自体は普通のカプセルホテルという感じ。特段代わったことはないけど、カプセルホテルの場合はカプセル内にコンセントがあるかないかが結構影響する。特に近くにコンセントがないとパソコンへの充電ができないのだ。幸いにも近くにコンセントがあり、三つ又ソケットを持ってきていたので事なきを得たけど、これが結構左右されるもの。

夜は昨日から札幌入りしているバファローズファンの後輩とキリンビール園でジンギスカン。
それなりに酔っ払って楽しかったです。明日は積丹半島方面へ向かう予定。

2009年9月19日 代替企画で神威岬へ





マニ30の写真。マニ30は吹田にも見に行きましたが、間近で見るのは初めてです。
マニ30の写真。マニ30は吹田にも見に行き
ましたが、間近で見るのは初めてです。
マニ30の車内写真。マニ30の部屋で詳しく解説されています。
マニ30の車内写真。
マニ30の部屋で詳しく解説されています。
二段式寝台。上段はカムフラのために窓がないのね。1両でいいから自宅代わりにしたいね〜(笑)。
二段式寝台。上段はカムフラのために窓がないのね。
1両でいいから自宅代わりにしたいね〜(笑)。
枕木の杭入れ作業。昔は大変だったのね…。このあと、線路を走る人力自転車に乗ってきました。
枕木の杭入れ作業。昔は大変だったのね…。
このあと、線路を走る人力自転車に乗ってきました。
昨日もジンギスカンで寝不足のまま朝6時台に起床。すすきののホテルから札幌へ向かい、JRで小樽駅へ。
今日はレンタカーで積丹半島を回ろうと思っていて昨日電話書けたらどこも満車だったためバスで行くことも考えたけど、小樽でオリックスレンタカーに秋があることを確認でき、急遽レンタカーで出発。神威岬に行くにはレンタカーがないときついのだ。

小銭入れをなくしてしまったようで少しショック(数百円しか入っていなかったと思うが)し、小樽駅で忘れ物の確認をしてもらったがなかったので代わりの小銭入れを100円ショップで購入。そして小樽交通記念館へ。現金輸送車マニ30の見学が主目的。マニ30は吹田に見に行ったことはあるが、もちろん中まで入ったのは初めて。うーん、14系客車とA寝台を混ぜ合わせたような車両。乗ってみたくなる…。あとは「アイアンホース」のSL乗ったり、線路を走る自転車に乗ったりして楽しんできた。まあ、小樽交通記念館には以前にも2回来たことがあるけど、何回行っても楽しいところである。


そして昼食を美国の「ふじ鮨」でうに丼(といっても卵とじのだけど)を食べる。なかなかおいしい。そして高速遊覧船。ふじ鮨に割引券があったので10%引きで乗れた。本当なら黄金岬遊歩道を歩く予定だったけど、先日の台風で倒木があったため通行止めになっていた(国有林の関係で勝手に木を除去できないらしい)。そして積丹岬へ。積丹岬というのは通称であり、幌武意から入舸を結ぶ4.7kmの積丹岬自然遊歩道があるのだが、時間的にそれだけ歩くのは無理だから幌武意から海面まで下りただけであった。

そして神威岬へ。こちらの遊歩道は60分必要とあって時間を余裕目にとっていたら、千葉マリンスタジアムのごとく強風にあおられて通行止めになっていた。残念。手前から何枚も記念撮影をした。



豊浜トンネルの祈念碑。このトンネル崩壊はショックでした。
豊浜トンネルの祈念碑。
このトンネル崩壊はショックでした。
夜は小樽に戻りレンタカーを返し、「すし政」で豪華な夕食。海水うにがおいしかったけど、一緒に行った友達はさんまの鮨に絶賛していた(というかさんま鮨をはじめて食べたらしい)。ただ一つ後悔なのは、かに汁がただで食べられた(JALに乗ったときにもらったパスでサービスしてくれる)のを後で気がついたことであった。それと店員が日本ハムファンで、聞くと高校時代に押本投手の専属捕手を務めていたらしい。
その後は新日本海フェリーに乗り込む。敦賀港までの長旅である。


2004年9月20日 19時間あまりの船旅




ニューあかしあの船内。いつもは小樽〜舞鶴の運行ですが、この日は小樽〜敦賀でした。
ニューあかしあの船内。いつもは小樽〜舞鶴
の運行ですが、この日は小樽〜敦賀でした。
私は2等寝台でぐっすりと。結構快適でした。
私は2等寝台でぐっすりと。結構快適でした。

今朝はフェリーの2等寝台で眼が覚める。時速何キロで走っているのだろうか(最高30.4ノットなので約56.3km)知らないが、ほとんどゆれないので快適である。
昨日は疲れていて風呂入らなかったので、朝風呂に入る。5階の大浴場は綺麗だった。本格的なサウナも付いている。
2等寝台なんだけど、向かいに人がいるとやはり列車で言うとB寝台と同じような感じである。とはいえ寝台料金2500円なのでまあいいかという感じ。パソコンしようにもテーブルがないのでやりにくい。19時間も乗るのだったら、テーブルのある1等にしても良かったかなとも思ってきた。また、部屋にはコンセントが1箇所しかなく、携帯電話の充電の先客がいたが、パソコンの充電用にとあらかじめ三つまたのコンセントを買っていたので、それを使い事なきを得る。
ともあれ、カーテンを閉め切って寝転びながら会社の宿題を少しするとまた眠くなり1時間ほど寝てしまう。昼になってからは一旦5階のプロムナードのところで休憩。外での休憩はある意味よかった。記念撮影後、パソコン持参でテーブルのあるところで続きをする。しばらくすると2等船室に乗っている後輩と会い、あれこれと長話をする。野球の話は2日間たっぷりしているので、今日は10月のダイヤ改正など最近の鉄道の話題であった。どうも2等船室もすいているとはいえ他のお客がいて落ち着かないらしいとのこと。
そうこうしているうちに18時になり、越前海岸が見えてきた。楽しかった船旅も終わりが近い。あとは身支度をして敦賀港到着を待つ。19時15分に敦賀港到着。下船後のバスが結構混みあっていたが、敦賀駅に19時40分頃に到着。そして後輩と分かれ、うどんを食べてから福井へ。
新日本海フェリー、また乗りたくなっちゃった。
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2004年07月19日

2004年7月 こだま&箱根フリーきっぷ+αの「箱根+α」の旅

2004年7月17日 箱根観光と野球観戦

今日は箱根観光と野球観戦という変な組み合わせの旅行。
野球観戦はこの3連休に当初から予定しておいたのであるが、それと旅行を組み合わせるとなると、時期が時期だけに18きっぷは使えず、箱根を有意義に旅行したいというかねてからの希望と組み合わせるのが無難と判断し実行。仕事で旅行規模縮小になる可能性もあったが、金曜は夜遅くまで残業して終わらせたので徹夜して土曜の朝に出発した。


十国峠のケーブルカー。十国ってどこだっけ? 武蔵、相模、富士、伊豆、箱根…。
十国峠のケーブルカー。十国ってどこだっけ?
武蔵、相模、富士、伊豆、箱根…。

米原まで普通列車。新潟の集中豪雨できたぐには運休だったため、きたぐにで関空へ行く客がこっちに乗っていてそこそこ混んでいた。米原で「こだま&箱根フリーきっぷ」を購入。これがあるとひかり・こだま指定席で小田原まで行け、熱海−小田原間のJRと伊豆箱根鉄道系列のバスや船が乗り放題なのである。とりあえず熱海まで行き、十国峠をめざすが、早くも熱海で渋滞である。熱海は駅を降りたことしかないので、海を見るのははじめて。道路を降りていくと「テレビで見るモナコGPみたいなところやなあ。レースしたら面白いな」という雰囲気のところ。3連休とあって渋滞するのも納得。

十国峠で下車。十国峠はドライブインみたいなところで結構人は賑わっているものの、バスに乗る人は案外少ない。とはいえケーブル乗りつぶしのためには行かねばならないのだ。ケーブルで山頂まで上がる。ケーブルは西武鉄道系らしくライオンズカラーの塗色。ごく一般的なケーブルだけど0.3kmと短いので味気なかったなという感じ。山頂に上ると箱根の山の涼しさが感じられた。山頂であたりを見渡してからケーブルで下山するのだけど、途中、風きつかったなあ〜。
「十国峠」とは「十国」が見えるところから付いた名前らしい。しかしその十国はどこか忘れてしまった…(伊豆・駿河・遠江・甲斐・信濃・武蔵・相模・安房・上総・下総が正解)。

そして一旦箱根関所前まで上がってから、遊覧船に乗ろうと思ったけど時間的に苦しいと判断し、早くも小田原に戻る。まあ、初日は野球観戦が入るので仕方ないのは分かっていたものの、一旦上がっておくとバス路線の乗りつぶしにはなる。本当なら観光地をその分回りたかったが、計画を立てる余裕がなかったので仕方ない。バスのダイヤも7月16日に改正になっていて、自分の調べたものとは大きく違っていたし。


一旦、箱根を降りて野球観戦のために千葉までやって来ました。
一旦、箱根を降りて野球観戦のために千葉までやって来ました。

小田原からは新百合ヶ丘、大手町、西船橋・海浜幕張と経てマリンスタジアム入り。今日は白ユニフォームでロッテの応援をする。試合は序盤で4−0と調子良かったが、逆転負け。
今日の宿は「ホテル東横イン海浜幕張」。行きの新幹線の車内で予約したのだ。悔しい状態で海浜幕張で送迎バスを待っていると、同じように野球観戦帰りの人やTDRの袋を持った人が多数やってきて、同じバスに乗り込んだ。
ホテルでは手続きに難航している人がいたけど、こっちは会員なのでカード見せたらすぐ手続き完了、「やど直販」の靴下ももらえる。やはり4&5クラブは有効だ。「やど直販」の靴下ももらえ、インターネットも楽しんだ。
宿の周りは何もないので、シャワー浴びて少しインターネットも楽しんでから爆睡。

けど、千葉は日曜にしたほうがよかったなと後で思った(日曜祭日キャンペーンで1泊3900円が適用になる)。
ここの東横インは最大の欠点が「交通の便が悪い」こと。工場の一角にあるような感じなので最寄り駅がないのが痛い。結局は海浜幕張で用事があるときに使う程度だけど、マリンスタジアムなどその機会はありそう。

2004年7月18日 ロマンスカーで再び箱根入り





今度はロマンスカーで箱根入り。「箱根夏の思い出クーポン」がもらえ、箱根で結構役に立ったよ。
今度はロマンスカーで箱根入り。「箱根夏の思い出クーポン」
がもらえ、箱根で結構役に立ったよ。
車内で食べた「ロマンスカー弁当」。この内容でなんでソースがいるのかなあ。
車内で食べた「ロマンスカー弁当」。
この内容でなんでソースがいるのかなあ。

前日の徹夜の疲れもあってか起床は8時半とゆっくり。無料サービスのおにぎりを食べ、身支度を済ませる。
2ヶ月先の北海道遠征に使う無料航空券を予約するべく、ホテルに残ってインターネット。発売が9時半なのだ。時間が少しあるので今日の予定を決めるため、時刻表など各種サイトを検索。小田急ロマンスカーにも乗りたくなって、インターネットで1200発のはこねを予約。
そして9時半、特典航空券の予約である。14500マイルで札幌へ行くのだ(もう1区間は東京旅行に使用予定)。めざすは名古屋1000発の−新千歳便。空席紹介のところには9時半前から何回か接続してみたがつながらなかったが、9時半になってつながった。しかしこの時点で残席0。設定がなかったのかもしれない。仕方ないので伊丹便に切り替えたら確保できた。新千歳には予定よりも1時間ほど遅くなるが、これでも試合開始には間に合う。まあ、よしとしよう。

予約終了後、チェックアウトをして送迎バスに急いで乗り込む。海浜幕張、南浦和、西船橋、大手町と乗り換え、丸の内線で新宿へ。この間、インターネットでその他、今日の宿泊先を探したり、日記を書いたりする。新宿では予約してあったロマンスカーの特急券を買うと「箱根・夏の思い出クーポン」をもらう。伊豆箱根系のチケットを持っている私にとって、このクーポンが後になって結構役に立ったのである。1200発のロマンスカーは7000系LSRだ。20000系や371系も乗ってみたいけど、こっちはJR線内でもいいから乗ろうかな。
ロマンスカーに乗り込んだら、今でも通用するようなリクライニングシート。まあこれなら満足。周りは外国人旅行者が一杯であった。私の隣もメキシコからの旅行者であった。先頭で記念撮影。この車両も登場してから24年になるんだな…、私が子供の頃には結構憧れの的だったのだけど、時代が変わったなあという感じ。
列車は少し遅れ気味で走る。車内販売を待つも町田まで来ない。しびれを切らして売店に出向いたらワゴンがいてロマンスカー弁当を注文した。ごはんが3種類、なかなかの味であったが、しょうゆとソースの両方が入っている理由が分からなかった。しょうゆはすしご飯などに使えるが、ソースは何にかけるのだろう…ってな内容だった。
小田原から箱根湯本までクロスシート気分なのはさすが「特急の魅力」!!(とはいえ朝晩に直通する箱根登山鉄道にはクロス車はあるんだけど)。小田原までの高速運転とはうってかわり、ノロノロとちょっとした山を上るという走り。飯田線を走っている373系のような感じ。湯本以南は小田急の延長といった感じで朝晩を除いて小田急の列車が直通、湯本以北は最高80‰でスイッチバックが多数あるという山岳鉄道。その他にも線路が箱根湯本以南は3本レールだったり電圧が箱根湯本以南は1500V、以北は750Vと異なるなど様々な面で別路線という感じ。また、昼間は箱根湯本までは往復とも1時間に特急・急行が2本ずつ計4本あるので、途中の駅当然のように待避待ち。
箱根湯本で電話が鳴った。「福井が大雨で大変。足羽川が決壊した」とのこと。場所は私の家の反対側であったが、あの足羽川が決壊するとは驚きである。



急勾配の箱根登山鉄道。80‰の標識が見える。あじさいの時期にいくときれいですよ。
急勾配の箱根登山鉄道。80‰の標識が見える。
あじさいの時期にいくときれいですよ。

そうこうしているうちに1000系ベルニナ号が入線、車端部ロングシートとはいえ無事、先頭に陣取れた。
気を取り直して強羅までの登山鉄道に乗る。箱根は全くの空白地帯なので当然、箱根登山鉄道も全線残っている。箱根登山鉄道は箱根湯本を境に趣きがガラッとかわるのだ。
箱根湯本を出るといきなり急勾配。それも80‰の急勾配が連続、一駅進むのも3、4分かかるという感じ。先頭に陣取ったものの塔ノ沢を過ぎた所でスイッチバック。その度に運転士と車掌がホーム外に出て入れ替わり。するとまた80‰の急勾配。その最中にトンネルや橋を横断するというまさに「登山鉄道」。スイッチバックも途中何度かある。80‰ってバスなら結構ありそうな勾配だけど、わが国ではここまでの「山岳鉄道」というのは珍しいと思った。山越えを前提とするところというと鉄道輸送が成り立つほど需要があるところは少ないので、箱根のように「観光需要」がないと成立しないからかな、と乗りながら考えていた。
彫刻の森では有名な美術館があるのだけど、今日は時間がないのでパス…と考えたりして強羅に到着。初めて乗ったけど結構「乗りがいのある路線」だった…。

強羅からはケーブルカー。強羅までも勾配はきつかったけど、さらに勾配があることからケーブルカーになっているのだ。登山鉄道が2〜3両のところを2両でまかなうので、シーズンは結構混雑する。途中、4つも駅があって、どの駅も何人か乗り降りする人がいた。駅間はせいぜい数百mだけど、ケーブルカーなのでそれなりの価値はあるかな。ケーブルの中では距離があるほうで、早雲山まで結構楽しめたな〜という感想。
早雲山で新型ロープーウェイを待つこと10分ちょっと、大涌谷へ。屈斜路湖にある硫黄山みたいなところって言う印象をまず受けた。そして大涌谷を少し歩く。まあ硫黄山と同じ印象。ここも韓国からの観光客など外国人旅行客が多くいた。行き先が「大阪、東京、富士山」って書いてある観光バス、はじめて見たわ。



大涌谷。北海道の屈斜路湖の硫黄山みたいな感じ。外国人観光客がやけに多かったなあ…。
大涌谷。北海道の屈斜路湖の硫黄山みたいな感じ。
外国人観光客がやけに多かったなあ…。
箱根バイパス経由のバスで下山し、伊豆箱根鉄道大雄山駅へ。今回も乗りつぶしが目的だし…。
箱根バイパス経由のバスで下山し、伊豆箱根鉄道大雄山駅へ。
今回も乗りつぶしが目的だし…。

ついで桃源台に降りて船に乗ろうと思っていたが、桃源台に降りるロープウェイが長蛇の列。乗るのに30分以上待たされた挙句、桃源台に到着後、伊豆箱根系の湖尻まで歩くと、すでに最終の船が出て行った後であった。しばらくするとバイパス経由の小田原行きバスがやってきた。バイパス経由って16時台にしかないのにな、と思っていたら、どうやら臨時便だったようである。結局、バイパス経由も乗ってみたかったのでこれで小田原まで降りることに。バイパスだと少し速いのと、交通量が少ないのとでやはり価値はあった。そして小田原に着いたらまだ明るいこともあり、伊豆箱根鉄道大雄山線に乗る。こちらは単なる乗りつぶし。
伊豆箱根鉄道というと三島から修善寺に行く路線ばかりが目立つのでこちらは寂しいね。とはいえ小田原駅もキレイになったのでこちらは単なる乗りつぶし。ロングシート車だったこともあって「車窓は帰りに」とパソコン広げると電話が掛かってきて困った。
そんなこんなで大雄山まで行くとは駅前もちょっとした店があって賑わっていて、郊外都市みたいな印象。そして帰りの車内で車窓を満喫。雰囲気としては多少田んぼが広がっているという小田急の小田原口、近畿でなら三岐鉄道あたりと似たような感じだった。

そして小田原に戻り、「小田原ターミナルホテル」にチェックイン。箱根に行くのに小田原にした理由は「箱根周辺は高くなる(それに今から予約しても連休で間に合わない)ことやフリーきっぷを持っていることから、小田原で泊まったほうが有利」と思ったから。今回はネットではいいホテルが見つからず(当日になったこともある)、電話で予約。4500円と安かったのでここにしたという感じ。
ホテルはこじんまりとしていて、綺麗とまでは行かないが設備はあるという感じ。隅っこの部屋だったので部屋自体は狭かった。けど、値段を考えると十分だ。立地条件は小田原駅近くと一見よさそうだけど、変な繁華街にあるのがちょっと難かな。

そして風呂は湯本の温泉に行こうと、バスで湯本に出てから駅近くにある「かっぱの湯」に。ここは「夏の思い出クーポン」が利用できる。このときは持ってくるの忘れてしまったがその旨を告げると割引にしてくれた。ありがとさん。
結構いいお湯だった。お肌すべすべになったあと、箱根登山鉄道で小田原へ。昼間は箱根湯本以北しか走らない車両が小田原まで降りてくる。つかの間のクロスシートを味わいながら小田原へ出て、松屋で夕食。いつものように株主優待券利用。プルコギ定食はボリュームがあってよかった。ホテルに戻り高速インターネットを利用しようとしたが、配線がうまくいかずに結局は持参のAirH"の低速インターネットは出来なかった。なんでだろう〜。
夕食は例によって松屋、そして株主優待券利用。プルコギ定食はボリュームがあってよかった。そしてホテルに戻る。
インターネットの設定に苦しんだあげく断念、持参のPHSでインターネット。福井の大雨の様子を検索。足羽川決壊って昭和28年の13号台風のとき以来みたい…。

2004年7月19日 湯河原から3度目の箱根入り





特急踊り子で湯河原へ。こだま&箱根フリーでも乗れるのでお得。
特急踊り子で湯河原へ。こだま&箱根フリーでも乗れるのでお得。
伊豆箱根船の遊覧船。箱根にはバス・船など箱根登山系と伊豆箱根系が混在しているが、伊豆箱根系はおおむね空いていてシーズンにはお勧め。値段も安いし…。
伊豆箱根船の遊覧船。箱根にはバス・船など箱根登山系と
伊豆箱根系が混在しているが、伊豆箱根系はおおむね
空いていてシーズンにはお勧め。値段も安いし…。
今朝は7時半起床。今日の予定はまだ決めていない。駒ケ岳ケーブルに乗るために駒ケ岳に行くのと、乗りそびれた遊覧船に乗るのは確実として、残りの時間でどこに行こうかを検討。湯本付近を観光しようか、あるいは箱根関所周辺をじっくり見ようか…。あと、フリーきっぷで特急踊り子にも乗りたいし、箱根から湯河原のバスもまだ乗ってないからこのルートも使いたいな。
行きは8時35分発のバスで駒ケ岳上り口に行ってケーブルで山頂に上がって、ロープーウェイで箱根園、遊覧船というプランと、8時36分発の特急踊り子で湯河原に出て箱根に入り、遊覧船などを楽しんで箱根園からロープーウェイで山頂、ケーブルカーとバスで下山という2案に絞られた。いずれにしてもネックなのはバスの本数が少ないこと。駒ケ岳上り口には数えるほどしかバスが来ないのだ。
当初は「帰りに湯河原に下りると渋滞に巻き込まれなくていいのでは」というところから計画を考えたが、バスの便がいい時間になく、踊り子の時間と合わないため断念。特急踊り子で湯河原経由の案にする。帰りは渋滞に巻き込まれないように箱根湯本から箱根登山鉄道を使おう、湯本にも少し行けるし…。いずれにせよ彫刻の森はちょっと無理かな。
8時半にホテルを出て小田原駅から特急踊り子に。リクライニング185系は快適。思ったよりシートピッチが広かった。「こだま&箱根フリーきっぷ」はフリー区間の特急自由席は利用できるのであるが、途中、車掌が来て「特急券が必要です」と訳の分からないことを言ってくるので反抗したが一歩も引かない。「湯河原駅で下車するときに備え付けの時刻表持って駅員に言えば理解されるだろう」ってなわけでとりあえず500円払い、湯河原で下車したときに特急券を出してその旨を付けたら500円返してくれた。「それくらい理解しておけ〜!JR」と言いたくなった。そのときに帰りの小田原1810発のひかり指定席も予約。




駒ケ岳から撮影した芦ノ湖。駒ケ岳山頂は涼しくて風があって見晴らしがいいのでぜひお勧め。
駒ケ岳から撮影した芦ノ湖。駒ケ岳山頂は涼しくて
風があって見晴らしがいいのでぜひお勧め。
駒ケ岳から撮影した元箱根。箱根の町もこうしてみると綺麗です。
駒ケ岳から撮影した元箱根。箱根の町もこうしてみると綺麗です。
駒ケ岳山頂の模様。小田原よりも6〜8℃ほど、箱根からでも数℃涼しく感じました。
駒ケ岳山頂の模様。小田原よりも6〜8℃ほど、
箱根からでも数℃涼しく感じました。

気を取り直して、伊豆箱根バスで箱根へ。少しクーラーが寒かったが途中でクーラーを止め窓を開けるように放送がかかった。箱根はクーラーなしでも涼しい。途中30km/h制限のあるカーブを上ると、大観山を経て箱根新道のバイパスが見えた。そして関所跡で下車。遊覧船でとりあえず芦ノ湖を見物。その後、東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)の石碑を見る。2日前にここから小田原にバスで1時間かけて下りたけど、箱根駅伝の選手なら、小田原までの山下り(6区に相当)の区間記録は1時間切っているので、バスと同じ速度で走っているのかと思うとすごいな…。その後は箱根関所跡と資料館に。夏の思い出クーポンで50円引き。ロマンスカーで来てよかった〜。入鉄砲、出女。久しぶりに聞いたフレーズだ…。関所破りで磔、奴などの刑になっていたとか、幕府が交通を把握していたとかいうのを再認識すると、今の北朝鮮に似てるなあとも思った。でも久しぶりにいい勉強だったわ。
そして、恩賜箱根公園を散策、二百階段を経て箱根神社へ。結構歩くといい運動になったけど、元箱根で結構歩いたから湖尻まで行く時間がなくなってきた。まあ、十分に散策したのでそれでもいいかと思った。そして遊覧船で箱根園へ行き、ロープーウェイで駒ケ岳頂上へ。いい見晴らしだ…。涼しいし。
山頂では神社に参り、ケーブル駅へ。駒ケ岳は涼しくていい景色なんだけど、昨日の大涌谷に比べたら人が少ない。箱根は箱根登山鉄道系がやはりメインなのか…。西武系にも結構面白いところあるんだけどね。

駒ケ岳ケーブルに乗る前に、駒ケ岳山頂で撮影。山頂はとっても涼しくて気持ちよかったです。箱根は伊豆箱根鉄道系列(西武系列)と箱根登山鉄道系列(小田急系列)が同一エリアで営業を展開していて、互いに別々のフリー切符を出していて逆の会社のものは使えないというのが欠点(近年、一部の乗り物は逆の会社線は割引で利用できるようになっており、共通化の動きもある)。
ケーブルで駒ケ岳上り口に下りる。こちらはロープーウェイよりも客が少ない。特に、ケーブル駅には観光客の車が何台かあるだけで寂しい感じ。私と同じようにバスを待つ人が何人かいるものの、少ない。1527発の予定であったが元箱根の渋滞で少し遅れて到着。そして3回目の下山。湯本で1時間半ほど時間が取れるのでどこか以降と計画。夕方になると施設も閉まるし、今からならベゴニア園くらいしか行けないかな…。
大平台までは順調に来たが、そこから渋滞に差し掛かる。とりあえず湯本まで行く時間はないと思い、ベゴニア園なら上塔の台で降りたら行けるので、早く上塔の台に着かないかと焦る。温泉に入るのもいいけど時間がないなあ…。そして16時20分頃に着いたので下車。ベゴニア園を目指すも、途中道を間違えて数分ロスするも、ベゴニア園には最終入場2分前の16時28分に到着。駆け込みで入場。ここでも「夏の思い出クーポン」を使い150円引き。ベゴニアって球根・根茎別などいろんな種類があるんや…。とにかく温度に弱いので中はガンガン冷房がかかっていて、走った後だけに気持ちよかった。30分ベゴニアを満喫し、お土産を買って送迎バスで湯本へ。送迎バスはメイン道路は線路の反対側なので渋滞もない。湯本からは箱根登山鉄道。1726分発の急行に乗るべく急いでお土産を買って急行に乗り込んだ。
小田原では時間があったのでリバイバル能登路のマルスをたたいてもらったり(残席0だったけど)、弁当とチューハイ買ったりして、新幹線乗り場へ。そしてひかり号に乗り込む。アルコール飲むと眠くなって静岡から豊橋まで寝てたかなあ…。
米原から福井は豪雨の影響が心配だったけど、越美北線を除くと平常どおり動いているとのことで、3連休でしらさぎは混むと判断し、後続の普通で福井へ。足羽川左岸はやはり泥だらけだったのが夜の電車でも分かった。
去年はこの3連休に東北を満喫したけど、今年の箱根も結構よかったなあ…。
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2004年01月12日

2004年1月 厳寒の冬に現れた五月雨の沖縄へ

2004年1月11日 沖縄旅行1日目



今日から沖縄旅行。
今日の宿についても後輩から「沖縄なら1500円で泊まれるドミトリーがあるよ」って聞いたこともあってインターネットで検索。位置、きれいさ、安さなどを検討し、結局、辺戸岬を目指すことも考えて名護の東海岸にある「海と風の宿」(http://www.sea-wind.com/)を予約。泡盛付き2000円というのも気に入った。
6時過ぎに起きて50分ごろ出発。雪の中を金沢駅まで歩き、JRで小松へ移動、小松から空港までバス。金沢駅から直接空港へ行くよりも遅く出発できて安いのだ。そして、貯めたマイルと引き換え2ヶ月前に予約した「小松→那覇」「那覇→伊丹」の特典航空券を受け取る。「おお、これがうわさの無料航空券だ〜」。一昨年のCLUB-Aカードをはじめ韓国旅行がJALだったこと、クレジットカードで親戚の結婚式への交通費・宿泊費やパソコン買い替えの支払いを済ませたのが大きい。まだ20000マイル以上あるから、毎年1回は飛行機乗れるな〜っていう感じ(^_^)。

沖縄行きの飛行機はJTA。JALグループの沖縄編みたいなもので、車内から沖縄気分が楽しめた。小松から那覇って2時間以上あるから、飛行機でパソコン結構できるのね。東京行きなら飛行時間から離着陸時間を除くとほんのチョットしか利用できないから…。とはいえ飛行機では来週の仕事の工程を考えていたんだけど…。まあ、那覇空港に着くまでにできたけど。
雨がしきりに降る中、那覇空港に降り立つ。暖かい…。体感温度的に考えると、大阪や金沢で言うなら6月の梅雨のときのような印象。飛行機では「那覇の気温は20度」って言っていたのも納得。の暖かいのいいなという感じ。那覇空港は初めてきたとき「大きい空港やなあ」って言って伊丹や羽田になれている友達から笑われたりもしたけど(当時の私は女満別空港しか利用したことがなかった)、小松や富山を使い慣れている私には、やっぱり大きい印象がある。




まずはお約束の「ゆいレール」に乗ってきました。女性運転士も珍しくなくなったね…。
まずはお約束の「ゆいレール」に乗ってきました。
女性運転士も珍しくなくなったね…。
パレットくもじまでバスに乗りました。国際通りは雨の中です。
パレットくもじまでバスに乗りました。
国際通りは雨の中です。

そして最初の目的でもある沖縄モノレール「ゆいレール」に乗る。モノレールの那覇空港駅は空港ターミナルと直結しているが、駅にはトイレなどがない寂しい感じ。定期売り場の営業時間の変更が掲示されているのを見る。以前は定期売り場の営業時間が「12時から20時まで」という、午前中動き出すのが遅い沖縄らしい営業時間だと聞いていたけど、これが今年からは8時からに変更となったとのこと。修理までの切符を買い入場、進行方向右側の運転席後ろの席を確保。女性運転士が乗り込んできた。以前は大変珍しい存在で、女性運転士に会いに秋田まで乗りに行ったりしたけど、最近は女性運転士は増えていて、路面電車などに結構乗務しているらしい(石川県でものと鉄道にいる)。
ゆいレールは2両編成と短いながら、結構人が乗っている。沖縄の中心部周辺の道路は混雑するから、ゆいレールの存在意義としては十分だと思うが、中心部から外れたところからは利用しにくいんだよね…。それでも「3両にしてもいいんじゃないかな」っていうくらい乗っている。休日のほうが乗っていると聞いているから、平日はもっとすいているのかもしれないけど。あと、私のように観光客が多く乗っている。終点の首里駅から首里城公園が徒歩15分とはいえ近いこともあるんだろう。
私も首里駅から首里城公園へ向かって歩くと、何も言わないのにタクシーが「首里城公園までなら100円でいい」って言って来たので、じかんがあまりないことも考えて乗る。するとタクシーの運転手は「サンゴ礁を観に行かない?」とか押し付けがましく言って来る。「公園回ってから空港に戻るんで時間がないんです。仮に行くとしても空港戻ってからね」って言って断ったら、首里城公園に下りるときに挨拶なし。非常に不親切なタクシーであった。そもそも沖縄に「1泊2日。友達で日帰りって言う人も結構いるんで…」って言ったら「もったいない」だって。こんなタクシー乗ってたら感覚麻痺するわ。まあ100円なんで許すけど。
首里城公園は前に行ったことがあるので門前を簡単に見てきただけで中には入らなかったけど、「トイレの蛇口がシーサーで出来ているから撮影してきて」って頼まれていたこともあって寄ったという感じ。そしてシーサーの写真を撮って後にした。
首里城公園からの帰りは道に迷い、とりあえずどこかのバス停に出ることにした。出てきたのは都ホテル前。那覇空港行きのバスも存在するみたいだけど、1時間以上待たないといけないみたいだったので、とりあえず来たバスに乗車。車内で「那覇空港行きたいんですけど…」って言ったら「そしたら『パレットくもじ前』で降りてモノレールに乗り換えてください」とのこと。まあ、モノレールに乗り換えるのならもったいない気もするが、沖縄のバスにも乗れるのだからそれもいいか、ということで先頭で前方展望。ちょうど沖縄の中心地・国際通りを通るバスだったので見ごたえがあった。前回沖縄来た時も結局バスには乗らなかったので、得した気分かも。パレットくもじ前で降りると、ゆいレールの県庁前駅。ここでモノレールに乗り換えて那覇空港に戻る。


今回お世話になった三菱ディンゴ。軽自動車の価格でなぜか1300ccのレンタカーが借りれました(^^;
今回お世話になった三菱ディンゴ。
軽自動車の価格でなぜか1300ccのレンタカーが借りれました(^^;

空港からはレンタカーで移動。レンタカー自体は暮れに一番安い1日1500円の660cc車をインターネットで予約しているのだ。エックスレンタカーの送迎バスでスカイ営業所へ。手続きを済ませ車の引渡し。軽自動車と思っていたら、何と三菱ディンゴ。(後で調べたら、1日3000円の車であった)。「1日1500円でいいの?」って聞き返したが、1500円でいいとのこと。配車の都合で上位車種になったことだったが、「なんて安いんだ〜」と感動。

今日は特に何をするということもなかったので、とりあえず沖縄(コザ)方面へ。途中、鉄道のなかった沖縄になぜかデゴイチが止まっていたので、記念撮影してしまった。あとはエックスレンタカーでもらった地図を頼りにひたすら本当東側の国道を北上。途中、中村家という古い民家を観光。沖縄の民家は以前行った琉球村にも多くあるが、こちらはこじんまりとした感じのところであった。



国指定重要文化財・中村家。9年前に沖縄に行った時に行かなかったところを訪れる。
国指定重要文化財・中村家。
9年前に沖縄に行った時に行かなかったところを訪れる。

そして再び北上。時刻は17時過ぎだったけど、こっちはまだ明るい。コザ十字路も通過し、海中道路入り口を横目に北上。このあたりは9年前に行った時に寄ったことから省略した。この先の金武町にタコライスの発祥地があるのだが、そこを通り過ぎてしまっていた。いったん途中で引き返したものの、結局タコライスの店には入らずに先を目指すことにした。それは「海と風の宿」には19時に到着する予定で考えていたけど、ちょっと遅れそうだからである。そして名護市に入る。二見入口交差点から東村方面に行くのであるが、道路標識が「名護○○km」としかないのでどこで曲がったらいいかわからず、間違ったところで曲がってしまい途中のファミリーマートに道を尋ねた。すると二見入口の手前であったため、さらに北上。ようやく二見入口を発見し、右折。その先は久志小学校の入口を目指して進むが、こちらは偶然にもすぐ発見したが、「海と風の宿」を探すのに学校の回りを2周ほどしてしまう。そしてようやく宿を発見。40分くらい遅れてしまった。
「海と風の宿」は大きな家という感じのところで、入口を開けるとすでに宿泊者とスタッフが食事。15人くらいに「いらっしゃ〜い」と出迎えられ、早速食事。だれが宿泊者でだれが宿泊者かわからなかった。そして和やかなひとときを過ごす。今日、初宿泊の人は私だけのよう。宿泊者と団欒するのは雰囲気としてはYHみたいな感じで、学生時代にYHでよく宿泊していたこともあって、こうした雰囲気には慣れている。すぐに溶け込んでしまった。宿は基本的にセルフサービスで、冷蔵庫のものを飲みたかったら手前の空き缶にお金を入れる、など工夫が凝らされている。
食事後、受付と荷物を移動し、シャワーを浴びてから泡盛タイム。泡盛を水割りしてまた団欒。子供たちがはしゃぎ、CDからは沖縄の音楽が流れ、三味線(さんしん)が響きわたる。時間が止まったかのような感覚で沖縄気分を楽しむ。スタッフの友達、失業中の男性や、北海道から来た女子高生など、さまざまな人が泊まっている。大阪から来たというスタッフと大阪話をしたり、子供がじゃれあったり(「年いくつ?」って聞かれてしまった)、リゾートホテルでは味わえない沖縄ムードだ。泡盛も4杯くらいのみ、ほろ酔い気分。夜中にパソコンも利用し、結局寝たのは2時ごろだった。

宿の感想は、「YHみたいな雰囲気。泡盛も飲んで気分は最高!!」。北海道を中心とした安宿ガイド「とほ」のような感覚。後で知ったのですが、ここはとほ宿として有名なようです(とほのサイトでも出ています)。

2004年1月12日 沖縄旅行2日目




ヤンバルクイナの塔です。ヤンバルクイナって1980年代に発見されたんでしたっけ?
ヤンバルクイナの塔です。
ヤンバルクイナって1980年代に発見されたんでしたっけ?

今日は昨日とは打って変わって快晴。3段ベッドの上段で目が覚めると、朝食タイム。起きたのが早すぎるのか、みんなのんびりしている。今日は辺戸岬に行くためにさっそく出発の準備をし、パソコン以外の荷物を片付け朝食を開始。朝食はセルフサービスで、炊いてあるご飯を自分で取って、インスタントの味噌汁、明太子、卵、しょうゆ、のりで食べる。300円なんでまあこんなものかな。ちなみに食器洗いも自分でする。食事後、パソコンを少し利用。LAN使うのに300円とのことだったけど、これだけサービスを受けたのだからと、お礼も込めて1000円払った。また利用したくなる宿だ。
夏川りみの7曲入りCDを入れてくれたりして沖縄気分になった。それも7曲聴き終わって泊まったので、今度は私が再生し再び7曲聞いたりして沖縄気分を続けていた。
宿の前で記念撮影し、9時半ごろ出発。車を15時に返却できるかすこし微妙。まあ、遅れてもいいみたいだけど、帰れなかったら困るな…。





沖縄そばの有名な店ということでパンフに載っていた前田食堂に。
沖縄そばの有名な店ということで
パンフに載っていた前田食堂に。
前田食堂の人気のメニュー・牛肉そば(550円)を味わう。ボリュームがあってよかった。
前田食堂の人気のメニュー・牛肉そば(550円)
を味わう。ボリュームがあってよかった。

北上するとすぐに東村に入る。ここからが今回の目的地、「やんばる」と呼ばれる沖縄北部である。ゴルフの宮里3兄妹の出身地みたいで、昨年、沖縄では相当話題になっていたみたい。郵便局があったので、頂いた年賀状の返事を風景印で出す。ここから国頭村はアップダウンの多い道。前を行く車と似たような速度でディンゴを走らせるが、下り坂で変速するとき、ディンゴはサイドシフトのため、変則と間違ってワイパーを動かしてしまう。それでも楽しいドライブで11時20分ごろ辺戸岬に到着。ヤンバルクイナの展望台にも立ち寄る。ここからは沖縄本島の西海岸をゆく国道58号線(本当は辺戸岬の8kmほど手前から)を南下することに、食事はおすすめスポットとして地図に載っていた「前田食堂」で食べることに決定。途中、「道の駅ゆいゆい国頭」で休憩。お土産を大量に買い込み、100円の沖縄そばを食べる。また、下道で那覇を目指すと遅くなりそうなので、名護から那覇まで通常1000円の高速料金が800円になる回数券が売っていたのであわせて購入。

そして再び南下すると、今度は「道の駅おおぎみ」。少し休憩・撮影をして南下すると「前田食堂」を発見。名物の牛肉そばを食べる。沖縄そばに牛肉ともやしを乗せたもので、なかなかのボリュームであった。14時に出発、やがて名護市に入り、許田ICから高速道路に。ノンストップで那覇ICに着いたら15時を少し回ったところであった。




「日本最南端の駅」赤嶺駅です。西大山駅を本土最南端に追いやった駅です。ここは近くのスーパーに駐車して行きました。
「日本最南端の駅」赤嶺駅です。
西大山駅を本土最南端に追いやった駅です。
ここは近くのスーパーに駐車して行きました。
(現在は最南端を示す標があるそうです)
最南端の掲示は質素なものです。ちなみに最西端になった那覇空港駅には掲示らしきものは見当たりませんでした。
最南端の掲示は質素なものです。
ちなみに最西端になった那覇空港駅には
掲示らしきものは見当たりませんでした。
(現在は最西端を示す標があるそうです)


あっという間である。「給油どこでしたら安いかな」と考えていたところ、セルフのスタンドを発見、ここで給油することにした。リッター95円であった。そして営業所へ向かう途中、日本最南端の駅となった赤嶺駅に寄ったり、パイナップル券を引き換えに店を探したりしてから指定されたENEOSで給油、ここでは1リットル程度給油。こっちはリッター99円であった。そして営業所で車を返却、送迎バスに乗り込み空港に向かった。
空港で搭乗手続きを完了し、荷物を預けてオリオンビール買ったらもう搭乗時間だった。金沢に帰るのに伊丹行き。小松行きの特典航空券が取れなかったこともあるが、この時間のほうが長く沖縄に滞在できるし、伊丹だと実家にも寄れることから伊丹便にしたというのもある。こちらはJTAではなくJAL。機材はB747-400、ジャンボジェットである。JAL国内線と同じ雰囲気とあって珍しさはないが、沖縄から伊丹までは小松に比べると近く、気流にも乗ってわずか85分で到着。伊丹空港には家族に迎えに来てもらい、車で実家へ。沖縄の土産話で夕食を済ませ、最終の新幹線+しらさぎで金沢に戻るべく21時過ぎに家を出る。途中、地下鉄が人身事故で不通になり新大阪まで車で向かうハプニングがあったが、金沢に1時前に到着。
沖縄はTシャツ1枚でいたのに、その数倍重ね着してもこっちは体が震える…。
posted by うえしょう at 23:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年07月21日

2003年7月 「3連休パス」グリーン車用で東北を満喫!!

 今回は7月19〜21日の三連休を利用して、3連休を中心に発売されるJR東日本が特急も含めて乗り放題という「3連休パス」を使って東北を旅行してきました。

東北新幹線「はやて」をはじめとする、東北・北海道でまだ乗っていない鉄道に乗りに行ってきました。JRは東北本線の延伸区間、盛岡−八戸間のほかに仙石線の地下化に伴って延長された仙台−あおば通間もまだ乗っていないのでこの両区間を、私鉄は主に北東北、青函トンネル記念館のケーブルカー、弘南鉄道大鰐線、くりはら田園鉄道、由利高原鉄道に乗ってきました。

 東北は大学2年の時にくまなく観光地を巡ったこともあって、今回はその時に行けなかった厳美渓と、青函トンネルのケーブルがらみで竜飛崎に行ってきました。




2003年 7月 19日 「はやて」で北の空に向かう



 今日から3連休パスを利用しての東北旅行。目的は東北新幹線八戸延長部分東北でまだ乗っていない私鉄を乗りつぶしに行くのがメインで、その他、一ノ関にある厳美渓を見に行くのが2つ目の目的(郭公だんごを食べたかったというのもある)。その他にも千葉マリンスタジアムでの野球観戦も考えたが、時間的に厳しいことからこれは断念した。

 はじめは急行「能登」で出発し、お座敷列車に乗る予定であったが、仕事で帰ってくるのが遅くなったので急行「きたぐに」での出発、お座敷列車は断念となる。とほほ。

 今回は「3連休パス」でもグリーン車用を利用。普通車用は24,000円だが、グリーン車用は28,000円と4,000円高いだけとあって、グリーン車用にしたのである。去年まではグリーン車の利用回数は無制限だったが、今年から4回に減らされた(理由はグリーン券だけ確保して利用しないというのが多発したためらしい)。それで、あらかじめお座敷列車と大宮から盛岡までの「はやて」、7/20の津軽64号(弘前−八戸間)、7/21の「つばさ号」(福島−新庄間)を確保していたのだ。

 きたぐにからの接続列車を考える。きたぐにからでは大宮到着後、はやて5号には間に合わず、はやて7号になってしまう…。八戸からは第3セクター後の青い森鉄道・IGRいわて銀河鉄道で盛岡まで戻る予定なので、はやて7号でも八戸からは当初の予定には追いつくのだ。最初からはやて7号のグリーン車を確保して置けばよかったんだけど、確保したのが5号だったので、何とかしてはやて7号の件に変更しなければならないのだ。

 直江津停車中にお座敷列車のグリーン券をとりあえず別の券に変更(実際には翌7/20の同列車のグリーン券にした)し、次にはやて5号のグリーンを7号に変更したい旨を申し出るも満席。指定席も満席だったため、仕方なく立席特急券に変更しておいて何度もチャレンジすることに。長岡で上越新幹線に乗り換える前にもみどりの窓口に申し出るが結果は同じ。大宮で乗り換えるときにもみどりの窓口に行ったが、結局グリーン車は取れずに、とりあえず立席で乗ることにして車内で変更することにした。





東北新幹線八戸延長「はやて」。 八戸

東北新幹線八戸延長「はやて」。 八戸
盛岡のとりめし弁当。安いのでお薦め

盛岡のとりめし弁当。安いのでお薦め

 はやては案の定満員。デッキでホームページの更新と会社から持ち帰った宿題をする。結局、盛岡からはグリーン車に空席があるとのことでグリーン車に座れたものの、なんか非常に損した気分であった。盛岡からははじめて乗る区間。というよりも私にはE2系のグリーン車を初めて体験したときの印象が大きかったかな。路線的には北陸新幹線と似たような新線だなあ…という感じ。けど、八戸について「もう青森県なんだ…」というのには感動。東京から2時間台で青森県にも行けるわけだから正直言って新幹線ってすごいなと感じる。

 八戸からはもともとの計画通り、盛岡まで青い森鉄道、IGRいわて銀河鉄道という2つの第3セクター路線に乗る。八戸から乗ると思ったより客乗っているなと感じたのもつかの間、ガラガラになった。目時駅から先はIGRいわて銀河鉄道になるが、とても会社境界駅らしくない駅であった。西武池袋線と秩父線が吾野を境に変わるのと同じような感じ。まあ、運賃的にもここを境に分かれるわけだからこちらは大きな意味があるんだけどね。途中、何度も貨物列車とすれ違う。こちらは第3セクターとはいえ全線複線電化で寝台特急や貨物列車を運転しているという、ほかの第3セクターにはない特徴がある会社である。八戸は改札が駅構内でつながっていたので、車内で精算する。盛岡まで2960円…。正直言って、これは高いけど第3セクターを考えたらまあこんなものかと感じる。

 盛岡に着くにしたがって客が多くなる…。沼宮内からは混雑は本格的になり、盛岡に着く手前では都心部の昼間とさほど変わらない感じ。IGRいわて銀河鉄道は基盤的に十分かなと感じた。盛岡は改札がJRとIGRでは別になっていたので、車内で精算した2960円の軟券で改札を出る。これで岩手県の鉄道は再度完乗したことに。





厳美渓。自然が生んだ彫刻家とはこのことか…

厳美渓。自然が生んだ彫刻家とはこのことか…
厳美渓名物!郭公だんご。向かいの店から飛んでくる

厳美渓名物!郭公だんご。向かいの店から飛んでくる
動画はこちらにあります(654KB)
郭公だんごの拡大した様子

郭公だんごの拡大した様子

 盛岡では冷麺を食べようかと思ったりしたけど、時間がなかったので駅で「とりめし弁当」を買う。530円と駅弁にしては格安。これを持って今から新幹線で一ノ関へ行くのだ。一ノ関での目的は厳美渓まではやまびこで移動。一ノ関からはバスで厳美渓へ。

 私は東北へは大学2年の夏に3週間ほど旅行しているので、大体のところへは観光しているのであるが、JR全線完乗を目指していたこともあって、駅から離れすぎているなど時間がさけないところは省略していた。厳美渓はガイドブックで見た景色に圧倒されるところであるし、だんごがロープを渡って運ばれる「郭公だんご」がユニーク(動画もどうぞ(654KB))。一度行って郭公だんごを食べてみたいなと思っていただけに、今回の旅行でやって来たのである。

 観光客らしき人がいないバスで終点の厳美渓に。あいにくの天気だったが、渓谷下の岩場へ来ると景色に圧倒される。そして、岩場の中央付近に設けられている屋根つきのベンチ付近にお盆にのって対岸から渡ってくるものが…。これが「郭公だんご」だ。何回か郭公だんごの動きを見てから、私も300円を入れて木槌をたたく。これが対岸への合図になっているのだ。すると対岸でロープが巻き取られていき、お盆があがっていく。待つこと30秒で到着し、さらに30秒後にやってきた。運ばれてくるときは下りなので速い。ものの10秒で到着。そして郭公だんごを食べながらしばらく休憩。写真撮影を。やっぱり来た甲斐があったな〜と実感し、再びバスで一ノ関へ。

 一ノ関からはくりはら田園鉄道に乗りに行くため、一ノ関から石越へ出て、細倉マインパークまで行くのであるが、列車時間的に1時間ほど余裕がある。まずは指定席の確保。今日は青森からフェリーで函館へ行く予定なので、一ノ関に停車する「はやて」のグリーン車で八戸へ行くことに。3連休パスで八戸へ行く場合、「はやて」が全車指定席なので、指定席を確保しないと盛岡から先の料金が必要なのだ。そこでダミーで確保してあったお座敷列車のグリーン券を一ノ関−八戸間のグリーン券に変更。そうすれば余計な出費は減る。次に、駅近くにあった床屋へいって髪を切ることに。旅先で床屋とはと思うかもしれないが、なかなかgoodな案だと思った。そして駅に戻ると程よい時間で仙台方面行きの普通で石越へ。



存廃に揺れるくりでんの終点・細倉マインパーク駅。

存廃に揺れるくりでんの終点・細倉マインパーク駅


 くりはら田園鉄道は経営難になった私鉄が第3セクターになった初めてのケース。国鉄転換路線以外で、元々第3セクターという路線なら大阪府都市開発(泉北高速鉄道)など数あるものの、私鉄から第3セクターになったのは、他には万葉線株式会社とえちぜん鉄道だけである(2003年7月現在)。週末の下りだというのに、石越から細倉マインパークまで、乗客は少なく寂しい。細倉マインパークからの上りは案の定、大半が乗客が私だけという状態。パソコンが置けるほどのテーブルつきの新車なのに、いささかもったいない気がする。とはいえ、宮城県と岩手県の中間を走る路線で、沿線からどの町に出るのかどっちつかずのところを走っているので利用されないような気がする。せめて新幹線のくりこま高原駅と接続していたら新幹線利用者が利用するなど違っているんだろうな、と感じた。

 一ノ関へ出て、駅前のコンビニで食事を調達して「はやて」グリーン車に乗り込む。今度の乗車時間は1時間以上。まあある程度グリーン気分は味わった。そして八戸から特急「つがる」で青森へ。車内でパソコンをするもバッテリー切れが迫ってきた。フェリー乗り場にコンセントあるかなあ?そこで充電しよう、と考えた。

 青森からは夜の青森港まで歩く。青森駅の裏側から外へ出る。こちらの改札は夜間無人という地方の駅という雰囲気。青森港へは過去1度歩いていったことがあるが、そのときとは違う道を行く。北国の特徴的なフォグランプが光る中、青森港へ…。夏の盛りであるが気持ちいい風が吹いている…。

 フェリー乗り場では何時の船にしようか迷ったが、結局は1時10分発の東日本フェリーに。2等寝台にしようとおもったが、残席なしのため2等へ。しばらくして船に乗り込み、コンセント近くの場所を確保。パソコンの充電を開始し、横になる。寝不足の私はこの船が出航したのを知らない…



2003年 7月20日 朝の函館と青函トンネル記念館






函館朝市の様子。私、何度目だろう?

函館朝市の様子。私、何度目だろう?
朝市の一角にある道南食堂。中村紀洋選手も来たとか

朝市の一角にある道南食堂。中村紀洋選手も来たとか
新旧の函館駅。あの駅舎がなくなるのは寂しいな

新旧の函館駅。あの駅舎がなくなるのは寂しいな

 朝、函館港に到着。充電は完璧、今日も元気に船を出るやいなや、予期していなかった事態が発生した。


  寒い…。


 今回は夏の旅行とあって軽装で来たので、羽織るものを持ってこなかったのだ。まあ、寒さも朝だけだろうと予想し、ほどなく温かくなって来るだろうと仕方なく2枚ほど重ね着して対処。

函館まで船で渡ったのは2回目で、前回は近くの七重浜駅からDCに乗ったが、今回は北海道内の切符がない身。函館駅まで距離がちょっとあるけど、寒いのをしのぐ運動がてら、10時くらいまで時間があるからのんびりと歩くか、ということで歩きはじめる。しばらくすると青函フェリーの乗り場を発見。うーん、函館駅まで歩くのならこっちにつく船の方が良かったなあ。フェリー代も安いし。まあ、次の参考にしよう。

 函館についたら、朝市を少し見物。朝市自体は何度か行っているので軽く見物するだけで、朝食を「道南食堂」で食べる。ここで食べるのは2度目。駅周辺では有名な店で休日とあって、行列が出来ていた。

 店の前には有名人の写真が結構張ってあった。騎手などの競馬関係者が多かったものの、野球選手もちらほらと。我が近鉄の中村紀洋選手もあってうれしかった。

 今日は味噌漬けのホッケを注文。前回はノーマルホッケだったので嗜好を凝らしたのだ。まずまずの美味しさ。隣の人、鮭のハラス頼んでるのに、端っこの美味しい部分残している…。ああ、もっ
たいない。今度来た時はハラス頼むぞ〜。


 時間が余ったので駅にあった売店でおみやげを買い、さらにテーブルのあるところでパソコンをする。無線LANスポットらしいけど、無線LANどころかパソコン使っている人すら見当たらなかった。私は無線LANもっていないので、AirH”でインターネット。それでもテーブルがあるし、そこそこ活用できた。船の中で充電できたのでバッテリーはばっちり。

 10時過ぎに駅に入り、「白鳥18号号」に乗る。目的は竜飛海底駅から地上に出る見学コースへの参加である。これだと労せずして青函トンネル記念館のケーブルカーに乗れる♪





「駅すぱあと」にない駅・竜飛海底駅

「駅すぱあと」にない駅・竜飛海底駅
竜飛の全景。石川さゆりの歌碑がある

竜飛の全景。石川さゆりの歌碑がある
竜飛埼の先端にある観測所

竜飛埼の先端にある観測所

 特急白鳥はリニューアル車とあって比較的快適。やがて木古内を過ぎて海峡線に入ると列車が速くなった。知内を通過し、青函トンネルへ。青函トンネルは7年ぶりであるが12回目とあっていつもの雰囲気といった感じ。青森県に入り、竜飛海底駅に停車。2号車から下車するように案内があるが、集まってみると降りたのは4人。「あれ?休日なのにこんな少ないの?」と拍子抜けした。

 案内係(JRの職員)の人から簡単な説明を受けてから竜飛海底駅を見学。吉岡海底駅は以前に行ったことがある(当時はドラえもんの駅ではなかった)ので雰囲気は大方予想できたが、竜飛海底駅も似たような感じであった。4人なので多少ゆっくりと見物できる。記念撮影をするも、充電電池が切れてきた…。これからはフラッシュを焚かないようにせねば。そして普段は封鎖されているゲートを出て、体験坑道のジオラマのところに行く。すると人がいっぱい!! どうやら地上から見学してきた人たちみたい。

 体験坑道を地上から来た人と一緒に見学してからケーブル乗り場へ。しばらくするとケーブルが多くの人を乗せてやってきた。地上からのお客には盛況のようであった。結局、ケーブルはこの人たちと合同で乗車。

 ケーブルはのんびりと上がっていく。ケーブルカーはエレベーターみたいにロープをワイヤーで引っ張る方式であり、ケーブルも1編成だけであった。ユニークなのは屋内にある地上駅に到着したら、トンネルへと続く線路にあるゲートが閉まるのだ。要は、地上とトンネルの間に部屋を作り、気圧が変化しないようにしているようで、東京ドームみたいな構造になっているのだ。

 青函トンネル記念館につくと、係の人から竜飛崎への道順を説明いただき、4人で竜飛崎まで行く。竜飛崎はかれこれ3回目である。前回は結構晴れていたけど、今日は初回のときと同様、雲が多く風が強い…。それと前に来たとき整備中だった階段国道も整備が完了していたし、石川さゆりの石碑が新たに出来ている。それに青函トンネル記念館も道の駅と一体の施設になっていたし、青森市交通部のバスも村営バスになっている。観光地としてもかなり整備されているんだな〜。






789系「スーパー白鳥24号」

789系「スーパー白鳥24号」
E751系「つがる」。性能の割にはもったいない気も

E751系「つがる」。性能の割にはもったいない気も
普段は全車指定席の「はやて」にも自由席が…

普段は全車指定席の「はやて」にも自由席が…
この夏初登場の「ムーンライト東京」。

この夏初登場の「ムーンライト東京」。




 青函トンネル記念館に戻り、しばらく見学してから竜飛海底駅へのケーブルに乗り込む。今度はJRからの見学者専用便で、4人だけ。地上から往復して戻ってきた多くの人から「少なくていいね…」って声が聞こえてきた。そして、今度は「スーパー白鳥24号」に乗り込む。

 789系は初乗車。まあ快適なのだが、キハ281系の電車版といった感じ。281系は連結面のガラス張りのところまで客室からいけて前面展望が楽しめるが、こちらも同様である。そこから写真とったら面白いだろうな…と考えていた。そしてトイレに行ってから撮影しようとしているいる間に青函トンネルを抜ける。トンネル出たところの噴水(列車がトンネルを抜けると噴水が出るしくみ)はどうなっているのかなあ。結局わからずじまい。そしてしばらくすると「ドラえもん海底列車」の回送とすれ違う。うーん、写真撮り損ねた。さらに津軽今別では津軽線を行く臨時「きらきらみちのく」が…。貴重な列車とばかりすれ違っているのに肝心な写真は撮っていない…。

 青森からは「かもしか」で大鰐温泉へ。大鰐温泉からはこちらも未乗の弘南鉄道大鰐線に乗る。弘南鉄道黒石線は乗っているので、こちらに乗れば東北新幹線・青い森鉄道・青函トンネルケーブルと合わせて残っていた青森県の鉄道に乗ったことになる。弘南鉄道は特に大きな特徴がある路線ではなかったが、沿線から弘前の中心部へ向かう人かそこそこ利用していた。中央弘前駅がJR弘前駅と離れていて、40分ばかり歩く。接続時間は十分に見ているものの、食事をどこでしようか考えているうちに時間が迫ってきて、結局はマクドナルドで済ます。そしてJR弘前駅へ。弘前の中心部は中央弘前とJR弘前の中間あたりのような感じである。

 弘前からは特急「つがる」のグリーン車。やってきたのは「スーパーはつかり」に使用していた751系。グリーン車は4列シートであったが他に誰もいない貸しきり状態。青森までは進行方向逆向きであった。青森から乗ってくるのかなと思ったら、結局は誰も乗らず、八戸まで貸切であった。車内で歌いまくれると思いながら(歌っていたかも)八戸へ。八戸からは「はやて」で今日の宿のある仙台へ。昨日の項に「はやて」は全車指定席なので指定席をとらないと別料金がいると書いたが、最終の仙台行きだけ自由席が連結されているのだ。これなら別料金はとられないですむ。貴重な「はやて」自由席を活用して仙台へ23時前に到着。この日はこの夏初めて運転される東京行きの臨時列車583系「ムーンライト東京」が出発するとあって、この様子を見に行く。カメラもセコく使ってきた甲斐があって、一応ここまで持った。多くの鉄道ファンとムーンライト東京を撮影したところで電池切れ。余裕があれば仙台の地下鉄も乗りたかったが、相当疲れていたので「ホテル東横イン仙台東口1」へ直行。疲れを癒してインターネットしてから寝た。





2003年 7月21日 つばさグリーン車と由利高原鉄道






ロングがクロスに!!近鉄のL/Cカーと同様の「2WAYシート」

ロングがクロスに!!JRにも登場した2WAYシート
最上川が見られるよう座席配置されたキハ110系300番台車内

最上川が見られるよう座席配置された車内

 今日は早起きして地下鉄に乗ろうかとも思ったが、仙台ならまた来ることもあるだろうと地下鉄に乗るのはやめた。JR仙石線があおば通まで延長されて以来、JR完乗のタイトルを失っていたこともあって、仙台−あおば通だけは取り急ぎ乗ることにした。ホテルを出てから仙台地下駅に入り、あおば通へ。山手線を走っていた205系が来たが、クロスシートとロングシートのどちらにでもなる「2wayシート」車が来た。近鉄のL/Cカーと同様なので驚きはしなかったものの、こういった車両が普及しているのはうれしいことである。

 そして仙台駅まで歩いて戻り、お土産を購入、新幹線ホームへ。「やまびこ」で福島へ出てから「つばさ」を待つ。E3系を期待したが400系。やがて「つばさ」が到着し、小さい車両とホームとの間を埋めるステップを踏んで車内へ。3列シートなだけにデラックス感がある。まあ福島から先は在来線みたいなものだから、新幹線で1人掛けとは気分いいだろうな…。

 新庄に到着しキハ110-300番台の快速月山で酒田へ。この車両、最上川が見やすいように川よりの座席は1人掛けで川に向かって配置することができるのである。最初はこちらの座席が取れなかったのでボックスのところに座っていたが、やがて空席ができたので移動。最上川を見ながら酒田へ。
 酒田からは701系普通列車で羽後本荘を目指す。特急がない時間帯なので普通利用となったが、3連休パスで701系に長時間乗るとは…。羽後本荘から由利高原鉄道へ。ここは貨物輸送が安定してそこそこの収益を出してきたところである。矢島へ行くときは高校生が結構乗っていて、一般の乗客も多少いて混んでいた。矢島に到着、これで秋田県の鉄道も全線完乗である。矢島駅では少し駅前を見ておなかがすいていたことからお菓子を買った程度であった。カブトムシが飼育されていて、子供にプレゼントしているようであった。金沢に移り住んでからもカブトムシをみる機会はなかったので確かに久しぶりに見たなあという感じ。




由利高原鉄道の終点・矢島駅を臨む

由利高原鉄道の終点・矢島駅を臨む

 矢島からの折り返し列車は私と同じように乗りつぶし客以外には少なかった。域に車窓を見ていたことから帰りはパソコンしてもいいのであるが、バッテリーが少なかったので控えめにした。そして羽後本荘に到着、あとはひたすら金沢へ戻るだけである。

 羽後本荘からは特急で帰りたいところだけど、列車がない。普通列車でのんびりと酒田まで移動。酒田からはいなほ自由席で新潟へ。ここもグリーン車予約しようとしたけど満席だったのだ。特急ではテーブルがあるのでパソコンしやすいものである。

 新潟からは少しでもどこかで充電できないかと考えるが明暗がなく、結局おにぎりを数個買って新幹線に乗り込む。MAXの2階建ても慣れてきたのか、最近は2階建て列車自体の珍しさがなくなってきた気がする(北陸にいたらMAXは乗りなれるし、京阪でも2階建てあるのでとりたてて…ということがなくなってきている)。長岡でもお腹すいていたのでまたおにぎりを数個買って快速くびき野に乗り込む。直江津で最終のはくたかに乗り換え。そして10分もしないうちにバッテリーが切れた。とはいえ今日は結構車内でパソコンが出来た気はした。

 今回の旅行では仙台の地下鉄や福島交通など完全に私鉄は乗れなかったものの、「土日きっぷ」のエリア外である東北北部の私鉄は乗りつぶしたし、JR完乗のタイトルも維持できてよかった。3日間という限られた時間であったものの有意義に行動できて終わってみたらいい旅であったと思う。




今回の旅の簡単な行程です。


7/19
金沢→長岡→大宮→八戸→盛岡→一ノ関=厳美渓=一ノ関→石越→細倉マインパーク→石越→一ノ関→八戸→青森…青森港=(東日本フェリー 泊)

7/20
=函館港…函館→竜飛海底…体験坑道→青函トンネル記念館→体験坑道…竜飛海底→青森→大鰐温泉(大鰐)→中央弘前…弘前→八戸→仙台(東横イン仙台東口1 泊)

7/21
仙台→あおば通…仙台→福島→新庄→酒田→羽後本荘→矢島→羽後本荘→酒田→新潟→長岡→直江津→金沢
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2001年07月03日

2001年7月 さよならレッドトレイン50系

 今回は7月2、3日と2日間夏休みを頂き、九州まで「レッドトレイン」50系客車を乗りに行ってきました。50系客車は海峡線で改造、塗色変更したものが走っているが、オリジナルの50系はすでに筑豊本線にしか残っておらず、これも今年度には電化によって消える予定であり、乗り納めをしたく思い旅立った。
 この時期に休暇を取ったのは、50系は朝夕に走ってますが、「夏至に近い方が長い時間明るいから」という点、夏休みが取得できるのは7月以降であるという点からです。
 他にもキハ181系としては見納めになる特急「おき」や西鉄50番バスや寝台特急「あさかぜ」にも乗ってくるなど、満喫した旅行となりました。




2001年 6月 30日 「だいせん」で山陰路へ



 今晩は山陰へと旅立つ日。前日は仕事が遅く、金沢で後片付けをしていたら夕方になってしまう。「サンダーバード40号」で大阪へ。実家で夕食と準備をして、「だいせん」に乗るべき大阪駅へ向かった。今回のきっぷはJR西日本の株主優待券を利用した「金沢(北陸・湖西・東海道・福知山・山陰・山陽・東海道)尼崎」という大回り乗車券、特急券、急行券である。手持ちのものの期限が平成13年6月30日(乗車券類は当日から有効のものであれば良い)であることから、乗車券は6月29日から有効と指定した。金沢から大阪へは時間がなかったこともあるが、特急も安くなるということで、サンダーバードに乗って帰ってきたのである。




出雲市延長「だいせん」。前方展望もできる。 福知山
出雲市延長「だいせん」。前方展望もできる。 福知山


 「だいせん」出雲市延長運転である。「だいせん」の急行券も割引にしていることもあるが、750円とは安いものだ。「だいせん」には7年前の冬に山陰旅行でお世話になって以来である。DC後は初めてであるし、大阪から乗るのも初めて。乗車率は80%程度となかなかの入りで大阪駅を出発した。山陰までの客と、福知山線沿線へのきたく客が交錯している様であり、私の隣は尼崎から宝塚までという乗客であった。

 ここであることに気がついたのだ。デジカメは持ってきたが、実家でフル充電した充電電池と充電パックを置いてきてしまったのである。電気屋で充電電池を買うことはできるが、このままではデジカメは宝の持ち腐れである。とはいえ一眼レフカメラの方は無事なので、こちらで撮影することにする。(そのため前半の写真は一眼レフカメラで撮ったものをスキャナで読みこんだものを掲載している)
 福知山で帰宅客と京都方面からの乗客が入れ替わり、車内の動きも一段落したため、ここから寝ることにする。



2001年 7月 1日 惜別!キハ181系「おき」、50系レッドトレイン


 倉吉を過ぎて放送が鳴ったと同時に起きた。5時半起床である。前日は1時半に寝たのでかれこれ4時間。この分だとどこかで眠くなるなあ。「だいせん」は週末は出雲市直通の急行なので、いままでなら近距離客が結構利用していたけど、車内は静かである。自分のような利用者には歓迎だけど、利用率が悪いのでもったいないようにも思う。もっとも、近距離客でも急行料金を払って乗っている人もいたけど。
 高架化された出雲市に6時26分、定刻に到着。改札の外に出ようと思ったけど、急行券を確保したかったし、とりわけ何もなさそうなので改札内にいた。次に乗る浜田ゆきは既に入線していた。キハ58の2連、それも非ワンマン、先頭車両は原色という古き良き時代である。だいせんの写真を撮る人がいっぱいいるなあと感じていたけど、そうした鉄ちゃんがみな浜田ゆきに乗ってくる。キハ181の「おき」「くにびき」を撮るのだろうなと思ったが、案の定、海に近い駅で降りていく。沿線にはカメラの砲台が並んでいる。1ヶ所で多いところには10台くらい。「おき」通過40分前でこれだから、まだ多くなるであろう。予想通りである。




キハ181系としては見納めの「おき」
キハ181系としては見納めの「おき」



 確かに7月7日のダイヤ改正で特急がキハ187系に置き換わるため、今日はキハ181系で運転される最後の日曜ということもある。しかし、キハ181系自体は「いなば」などでまだ使われるのに、何でこんな人だかりなのかなあ。「おき」「くにびき」あたりは3連と短く、グリーン車をつないでいないこともあって昔から地味な特急として知られているから、今日の人だかりには驚いた。前に旅行した時なんて沿線で撮影している人なんてほとんどいなかったんだけどなあ。
 太田市に到着。「太田市−松江間最速43分」というのぼりが立っている。いままで1時間近く係っていることを考えると大幅なスピードアップ。他にも55キロ制限の標識の上に「『95』(95キロ制限)187系に限る」なんていうのもあった。本則プラス40キロか…。なんだかキハ187系にも乗りたくなってくる。スピード自体ならスーパー北斗やサンダーバードなど速い列車は結構あるけど、線路条件を考えるとここも相当なものがあると感じた。
 江津ではキハ181系「おき」に追いつかれる。自分は「おき」に乗るため江津で下車し、「おき」をホームから望遠レンズで撮影する。本来ならデジカメでも撮りたいのにねえ。




3連と短く寂しい特急「おき」 益田
3連と短く寂しい特急「おき」 益田


 「おき」の乗車率は自分の乗っている3号車で40%程度である。指定席車や喫煙者はもっと空いていたから、全体ではさらに低いと思う。こんなに撮影している人がいるのに、惜別乗車は少なくがっかりである。まあキハ181とはいえ、普通列車よりは圧倒的に速い。キハ187系になったらもっとスピード出るのだろうなと感じる。山口線内で大雨につき徐行運転中という放送が流れて天気を心配する。益田に着いた時には雨は強くなったが徐行は解除されたようだった。

 益田からもキハ47系の普通に乗る。自分の乗っているのは窓枠が黒ゴムかされたものであり、車内もきれいである。すれ違うのはキハ120の単行が多い中、移植な存在のようにも思える。というのは、単行列車をキハ23からキハ120に置き換えているためか、2連以上の列車と運用を分けているように思える。連日の疲れから半分寝た状態で山口県内に入り、高校生が乗ってきて目が覚めた。
 長門市ではフィルムを購入し、キハ40の単行で小串まで。6年前に乗った時には宇徳敬子を聞きながら小倉から益田まで乗ったので、今日も宇徳敬子を聞きながらのんびりとした海を眺める。ロマンチックさがマッチするのだろうか。
小串で下関ゆきDCに乗り換え。2両編成である。しばらくはのんびりとした風景であるが、下関に近づくにつれて都会になっていく。メガロポリス・北九州市へ向かう人の路線という感じ。山陰本線でメガロポリスに向かう部分というと京都側を思うものであるが、こちらも立場は似ている。なんだか10年前の京都口を見ているようである。京都口は電化されて10年ほどになり、利用客も一気に増えているが、電化される前の京都口はこちらより本数、利用客などで上回っていたが、2両のDCなんかも走っていて同じような光景であった。
 ふぐの町、下関で「ふくてんそば」を食べ、小倉へ向かう。下関はホームが4面あったりして1台ターミナルであるが、なんだか寂しい。DCが到着した山陰線ホームから門司方向への列車案内は「いそかぜ」などだいぶ先の列車を表示してある。昔は門司まで走る列車が結構あったのだが、日豊本線からの列車に押されて減ってしまった。
 関門トンネルを抜けて、小倉へ。「WAIWAIカード」というJR九州と地下鉄で使えるカードを発見したので、3000円分買っておく。まあ今回の滞在で十分使えるだろう。しかし各社でばらばらの方式が登場するのは嬉しいことではない。Jスルーカードが使えないのかと言いたくなってくる。
 小倉ではデジカメのバッテリーを探す。町の中心街を歩き、「カメラのドイ」を発見。充電パックがあったので購入し、店で30分ほど充電してもらった。充電してもらっている間にJOYROADで今晩の宿「博多シティホテル」を確保。シャッターが降りているそごうや、道路の両側に「三井住友銀行」といった光景を見る。何だか蒸し暑い。本州ではクーラーの影響もあったのか暑いとは感じなかったたけど。
 小倉からは門司港へ出て、いよいよ筑豊本線直通の50系客車に乗る。50系は同線と海峡線で使用されているが、海峡線のはこちらは車体も青く塗られ、車内も改造されており、昔の面影が少ない。原型の50系といえばやはり筑豊本線しかないのである。しかし筑豊本線線は10月6日に電化されるため、赤い50系客車はこれで見納めである。
 筑豊本線は50系客車に乗るのは6年ぶりで、前回乗ったのも筑豊本線。この頃には既に北海道、本州からは撤退、九州でも久大本線とここにしか残っていなく、数年したらなくなるだろうと思い、筑豊本線(若松−飯塚)で乗り納めをしたつもりであった。
 しかしその後も筑豊本線ではずっと残っていたので、もう一度会いたくなったというわけ。それで区間を変えて門司港発にして、時期も夏至近くを選んだ。ここまで残ったのは、おそらく冷房改造されていたからであろう。




50系客車と新装まだ数年のスペースワールド
50系客車と新装まだ数年のスペースワールド


 列車撮影のあと、門司港を定刻に出る。まだ乗車率は低いが、小倉でどっと乗ってくると思う。鉄道ファンも5人くらい乗っているようであった。小倉ではどっと乗ってきたが、休日のため80%程度であった。開業して数年のスペースワールドでは通過待ちのため7分ほど停車する。快速に乗り換える人、煙草を吸う人などがいる新駅で、自分は50系というアンバランスさに「これが最高」と浸り、ホームで撮影。
 黒崎から本線の線路を離れ、折尾から筑豊本線に入る。複々線だった栄光のある「夢のあと」を感慨にふけったあと、ノートパソコンで友達に報告メールを打つ。乗車中に書いたものなので情景が直結すると思うので内容を記す。
「門司港1721発の飯塚行き2647レ、直方に間もなくさしかかるところ。乗車率は休日ということもあり、小倉出た時点では80%に留まった。平日だったらもっと高いであろう。電化工事も大方完成している。先頭はなぜか12系のグリーン仕様。電源車として使用している模様。(後述:開放型のトイレが禁止されたために、廃車間近の50系のトイレをタンク式に改造するよりも、タンク式トイレの12系を1両だけ連結して代用する方を選んだと言うことのようである)
 ちょうど夏至に近い時期を狙っていったので、18時50分だというのにまだまだ明るい。飯塚着いても明るいだろう。門司港から乗車した鉄ちゃんもちらほら見かける。「おき」に比べると少なかったが、こっちは乗車派が多い。グリーン座席ということで12系に乗っている人もいるが、ここはやっぱり50系。
 50系の中でメール打ったり、携帯電話をかけたりという、登場当時なら考えられなかった組み合わせを目の当たりにする。かくいう自分も倉木麻衣を聞きながら50系でインターネットの世界。このメールも、50系の車内で打っている。」




50系客車様、お疲れさまです。 飯塚
50系客車様、お疲れさまです。 飯塚


 飯塚でも撮影。今回の50系は、本当に、「お久しぶり」という感じであった。
 飯塚からDCで博多へ行く。ここも電化されればなくなるだけに、実は乗り納めなのだけど50系に比べれば感慨はほとんどない。20時前でも明るいのはさすがこの時期の九州である、ということの方に気を取られている。博多ではお土産を買って、重い荷物で途中休憩しながら徒歩5分のホテルに倍ほどの時間をかけていく。今夜はラーメンにしようと天神へ行くことも考えたが、疲れていたこともあり、博多で済ませることに。ということで昨年行った「一蘭」へ(詳細は昨年の旅行記参照)。今回は行列もなく、ラーメンと替玉を頼む。味は濃くしたり、唐辛子の量を多くしたりして味を変える。濃い味はコクが出て良かった。麺は固く感じたので、替玉は「超やわ」に変更してもらった。客の希望でこってりにもできるけど、基本はあっさりなんでしょうね。
 その後駅に明日の指定席券を買いに行き、この日は疲れを癒すため荷支度途中で寝ることにした。


2001年 7月 2日 「西鉄50番バス」と寝台特急「あさかぜ」


 本当なら6時過ぎに起きる予定が、目が覚めたのは7時前であった。今日は甘木鉄道、西鉄50番バス、西鉄天神大牟田線、宮地岳線、「あさかぜ」に乗るのである。「あさかぜ」下関1650発なので、宮地岳線に乗り終えてJR福間駅1505発の快速に乗っておきたいなあ、ここから逆算すると天神は13時、大牟田12時、50番バスはよくわからないから2時間見て久留米には10時か…と思いながら時刻表とにらめっこ。結局、博多819発の快速で出て、甘木鉄道に乗ることにした。
 朝は快速が少ない。これより前で甘木への乗換駅、基山に行こうとなると普通なので、40分にもなる。博多−鳥栖間ほど普通と特急の所要時間差が有る複線区間はないであろう。811系であるが、座席が変わっていて813系塗似たような感じである。南福岡には門司港行きが4本も並んでいる。今日は学生らしき人がいっぱい乗っている。今日は夏休みとっているんだ…、と平日を実感。
 基山で甘木鉄道に乗り換え。レールバス2連であったが、ラッシュの折り返しなのでお客さんはまばらである。確かに基山についた列車は結構乗っていたけど…。2軸のレールバスは久しぶりという感じ。加減速がいいので、発車時に背中に来る重力感が鉄道離れしている。ちなみに甘木鉄道は第3セクター路線の中では優秀な方であるらしい。甘木から天神なら西鉄でも、博多へ行くならこっちの方がいいな。
 甘木からは西鉄で久留米へ。600系2連で、ワンマン列車であった。甘木を出たとこでは少なかったが、久留米へ向かう人が多いのか、徐々に人が増えてきた。途中、学校前駅からは小学生が大量に乗ってくる。社会見学でどこかの工場を見に行くらしい。天神方面への乗り換え駅でもある宮の陣では小学生たちも含めて結構降り、久留米で残された人々と一緒に下車。
 久留米からは西鉄バス久留米−大牟田線、通称「西鉄50番バス」に乗車。このバスに乗るきっかけとなったのはとある時刻表仲間の影響であるが、大牟田へ行くのに西鉄で折り返したりJRで行ったりというのも面白味にかけるし、このバスは長距離を走る路線のひとつということもあって乗ることにした。5月1日の改正前は大牟田まで直通していたが、この改正で船小屋乗り換えとなってしまったのは残念である。




西鉄バス久留米−大牟田線 50番バス同士の交換
西鉄バス久留米−大牟田線 50番バス同士の交換


 久留米では100円のプレミアムがつくこともあって西鉄のバスカードを購入。1023に定刻通り西鉄久留米を発車。結構お客さんは乗っているはじめは信号待ちでいらいらさせられたが、国道に出るとひたすら50番バスは船小屋目指して走るが、徐々にお客さんは減ってきて、まばら状態。「大牟田31km」の標識が…、路線バスだけでこんな長距離進むのかと実感する。あとで知ったことであるが、西鉄バスでは昔は「きりのいい番号」を長距離路線の系統番号に充てていたらしく、この路線もそれに習って「50」というきりのいい番号としたそうである。
 途中、羽犬塚といったJRの主要駅へ寄る。JR主要駅周辺では乗客が乗りこんでくるが、他は空いている。国鉄時代の頃の本数の少ない時代ならともかく、ここまで列車が増発されたらバスで久留米に出るなんて物好きでないとなかなかしないだろうな。船小屋で乗り換え、バスカードを使う。乗り換え客は自分1人のようだ。バスカードだと90分以内に乗り継ぐと次のバスが自動的に80円割引になるということも知る。
 船小屋は西鉄バスの営業所があり、50番バスだらけである。1時間バスに乗ってもまだ半分である。接続時間を調べていなかったので次にバスがあるか心配であったが、幸いにもちょうど5分ほどしたら大牟田行きが来るところで、ホッとした。船小屋までは15分間隔だったのに、その先は1時間間隔。そう思ったら軌跡でもある。撮影の後、大牟田行きに乗車、自分のほかに何人かいた。
 船小屋までは街中を走るバスであったが、その先もちょっとだけ田んぼが広がったと思いきや、瀬高の街並になってきた。1時間毎なので50番同士のすれ違いは貴重なもの。すれ違うそしてついに大牟田市へ突入、乗客も増えてきた。途中、延着証明をもらおうとした人がいたが在庫がなくて困っているみたい。7分ほど遅れたようである。バスは大牟田営業所まで行くが、自分は大牟田駅前で下車し、西鉄大牟田駅へ。直通していた頃は1000円札を運賃箱に突っ込むといったことができる、35kmも街中を走るバスであったが、これでも十分に長い。とはいえこんなバスって全国にもそうないだろうな。




大牟田駅で待機する8000系特急
大牟田駅で待機する8000系特急


 西鉄特急で福岡(天神)へ。方向幕に天神という文字が入っていて違和感があったが、今年から路線名は「天神大牟田線」、西鉄福岡駅は「西鉄福岡(天神)駅」に改称したと知った。特急は30分に1本。一番前の展望席を確保。少し時間もあるから撮影。定刻の1251に発車。福間1505は厳しいなあと思い、もう1本遅くても大丈夫と判断。もう2本遅くなると下関の乗り換えが3分となり、車内で立席特急券を買うことになるから避けたい。
 大牟田付近は複線であるが、途中、単線区間が結構あるが、特急同士がすれ違うところは複線になっている。単線区間は結構あって、最終的に試験場前(久留米の2駅大牟田寄り)以北にならないと複線にはならず、そんな中を30分ヘッドで走っているのかと思うと感心する。とはいえJR奈良線も似たようなものであるが、こっちはまだ複線区間が中途半端だし。久留米からは隣に人が座ったが、向かいから来る普通、特急列車を撮影。元特急の2000系も時々来た。そして1時間ほどかけて天神へ。
 天神では時間がないので地下鉄に乗りかえるだけ。貝塚で宮地岳線に乗りかえるが、宮地岳まで行くと折り返し福間でJRに乗りかえるのがきついけど、行ってみることにした。同じ西鉄でもこちらは天神大牟田線と違ってのんびり。車両も自分の乗ったのは本線でも活躍している600系であったが、すれ違う列車は300系や313系。小学校の頃に九州へ行ったときには300系が本線を昔のツートンカラーで走っていたのを見たけど、今は2000系のようなクリームに赤い帯、これが宮地岳線の色になっている。終点・宮地岳ではすぐ折り返し、福間へ。時間は1513である。タクシーを捕まえたかったが車らしきものはほとんどなく、仕方なく歩いてJR福間へ。何キロあるか分からないけど行ってみよう。やがて大通に来たけど、乗る予定の列車の時間は過ぎていて、タクシーを捕まえる前にJR福間駅の手前のバス停が見え、これなら歩いていってもいいやと思い、JR福間まで結局は歩いたことに。少し走ったので15分でついた。距離は1キロちょっとといった感じ。でもおかげで西鉄は大宰府線以外すべて乗ったことになる。
 さて福間から少しでも早く下関に着きたい。特急に乗りたいけどこの時間帯の特急は赤間通過なので快速で向かった方が速い。博多まで戻って新幹線というのも時間的に無理で、結局快速で下関に向かい、3分接続であさかぜに乗ることに。もう「乗れればええわ」といった感じであった。
 車内ではデジカメの撮影の準備等をする。結構大あわてであった。門司で下関ゆきに乗り換え。下関では急いで乗り換えが出来るように先頭車両に乗ったら、なぜかこの車両だけ冷房が故障。415系1500番台って新しい方なのになあ。
 下関であさかぜに乗りかえ。車掌さんに「乗車されるのですか?」と聞かれ、「はい、広島まで。立席特急券中で買いたいんですけど」というと「時間がないので中に入って、4号車のラウンジカーに移動してください」とのこと。
 車内に入る。明るい時間の客車というのはなぜか気分がいい。24系25形は何年ぶりだろうか、子供の頃のブルートレインブームの時に出ていた風景がそこにはある。B寝台車とはいえ、寝台以外にもデッキから斜めに入る入り口、数の多いトイレ(タテ向きのトイレを見て885系みたいと思った)など普通の列車とは違うから、格調高いものが感じられる。9号車から4号車まで車内を移動するが、客はほとんどいない状態。まあ下関から乗る人は少ないのは分かるけど、ちょっと悲しい。4号車についても自分1人で、特急券を買うときに「今日は他に立席特急券の客いますか?」と聞いたらいないようであった。とはいえ途中から乗る人もいると思うけど。あと、他に2号車に乗ってもいいとのことであった。
 あさかぜは山陽新幹線博多開業前の特急の走りである。1974年7月号によると、今のあさかぜに最も近いダイヤなのは「つばめ8号」が下関1704発、広島1951着であるから、20分ほど遅いものの往年の山陽特急を思い出させるものがあるらしいが、自分はまだ1歳の頃の話である。はじめはラウンジカーにいたが、TVや乗務員がいて車内が騒々しかったこともあって2号車へ移動。こちらも何人かいたが広島までの乗客ではなさそうである。あとから予約で埋まる1番、2番の席に腰を下ろした。




栄光の寝台特急「あさかぜ」の車内。まだ外が明るい
栄光の寝台特急「あさかぜ」の車内。まだ外が明るい


 途中、宇部、小郡と停車していく。いにしえの山陽特急気分と、寝台列車気分を同時に味わう。隣の寝台との仕切られているような感じで、コンパート気分である。リネン類をよけ、セットしてあるカーテンを空け、はしごを戻して昼間気分にし、寝台列車の昼間の気分を味わう乗客が少ないとゆったりとできるのはいい。下松と光の間では瀬戸内海と列車が入る有名撮影地があるが、当時2車線だった道路は8年ほど前に4車線になって雰囲気が変わっている。新幹線だったらあっという間の距離でも、のんびりと客車で行けばまた違って楽しい。車内ではデジカメ撮影、パソコンでメールなど自分の時間。夏至に近いのでまだまだ明るい。ここでもメールの内容を記す。
「夏休みを利用した九州旅行、昨日は50系客車に乗りましたが、今日も客車に乗ってます。その名も栄えある「あさかぜ」。広島までのヒルネ利用です。いつサンライズ化されるか分からないので、今のうちに乗っておこうというわけ。こちらも50系同様、夏至に近い時期を選んでます。今回の大回り乗車券はこのためだったんですねえ…。
九州内にたっぷり時間かけていたので、下関は発車3分前に到着。立席特急券は車内で買いました。そのため、列車番号「6」の貴重な車内補充券をGETしました。
下関では全部で乗客が2桁になるかどうか程度しかいなかったのですが、宇部、徳山など主要都市に停車する毎に10人程度乗ってきてます。広島でどっと乗ってくるでしょうな。
立席特急券の人は2号車か4号車(ラウンジカー)に乗車とのこと。はじめはラウンジカーにいたけど、これじゃ寝台らしくないので2号車に移動してきました。他に立席特急券の人はいなさそうです。パソコンははしご横の机でやってます。結構テーブル大きいから楽です。
広島からはレールスター。サイレントカー取ってます。あさかぜとは乗り継ぎ割引にならないのがいたいですねえ…。(サンダーバード自由席と乗り継ぎ割引にしているからいいけど)」
 岩国を過ぎたあたりで“ヒルネ”(立席特急券で昼寝することを俗にこのように呼ぶ)にと横になる。「日本海」あたりでも金沢−大阪間で立席特急券があれば利用するのにな。“ヒルネ”しやすそうですし…。宮島では落日を味わうと暗くなってきた。車内では広島で弁当を買うようにとの放送が流れる。車内販売がないのは問題かもしれない。ラウンジカーにもそれように場所は確保してあるのだからもったいない話である。広島には定刻の1958に到着。撮影後、新幹線ホームに向かった。
 広島で夫婦あなごめしを買って、ひかりRailstarに乗りこむ。さすがに混んでいる。
放送がならないのに乗客が乗り降りするというのは驚く面もあるが、音楽を聴いているとサイレンスカーと普通の車両の違いがあまり感じられない。とはいえ椅子の後ろにチケットホルダーがついているなどノーマル車と違う面もある。駅弁を食べながら福山、岡山…と停車して行く。岡山21時といったらいつもなら在来線で帰っている時間ではないかと思うと、何て速いんだろう。大阪へは2147着。さっき乗っていた「あさがぜ」はまだ岡山についていない時間である。285km/hとは何て速いんだろ。「こだま」と「加越」に乗り継げば金沢へ帰られこともあるが、実家でゆっくりするのである。
 新大阪からはいつもの帰省のような感じで実家へ。そして翌日、ノーマル雷鳥で金沢へは戻った。

 今回は実質2日間の旅行であったが、出雲市延長だいせん、キハ181系おき、50系客車、甘木鉄道、西鉄50番バス、西鉄天神大牟田線&宮地岳線、あさかぜ、ひかりRailstarと、限られた行程、時間を有意義に使ったといった感じ。はじめは広島でもう1日粘って撮影することも考えたけど、荷物が重かったこと、十分旅行できたことから見送ることにしたことを追記する。





今回の旅の簡単な行程です。


6/30
金沢→新大阪→大阪→(車中泊)

7/1
→出雲市→江津→益田→長門市→下関→小倉→門司港→飯塚→博多(博多シティホテル 泊)

7/2
博多→基山→甘木→西鉄久留米=船小屋=大牟田→福岡(天神)→貝塚→津屋崎→西鉄福間…福間→東郷→門司→下関→広島→新大阪(帰省 泊)

7/3
新大阪→京都→金沢
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2000年08月08日

2000年8月 夏・長崎から

 このページは一年ぶりの更新になります。最近は旅行へ行ってもそれをまとめる時間をなかなか取れなかったのですが、最近ノートパソコンのバッテリーを買ったので、列車内での更新が以前よりやりやすくなりました。それもそのはず、前のバッテリーは1時間半しか持たない上に、購入から1年半が過ぎていたので最近は1時間も持たない状態が続いていました。
 今年の夏休みは長崎と広島に行ったのですが、長崎の方が印象に残るのと、広島は昨年記したこともあるので、長崎旅行での出来事を記します。




2000年 8月 5日 長崎へ大移動



 今日は長崎へ旅行する日である。時刻表仲間とさだまさし他のコンサート「夏・長崎から」を見てその翌日に長崎電気軌道の慰霊碑の前で「鉄道と平和を考える」というイベントに参加するのである。時刻表仲間では毎年恒例の行事となっていて、自分もかねがね行きたかったのである。しかし5年間何かと他の行事と重なったりして一度も参加できなかったが、このたびうまいこと夏休みが取れたこともあって参加することにした。




300km/h運転の「500系のぞみ」 博多
300km/h運転の「500系のぞみ」 博多



 長崎へは「ムーンライト九州」と普通乗り継ぎで長崎へ往復することも考えたが、結局のところ普通を使うのは帰りだけにして、行きは300km/h運転でおなじみの500系新幹線と「白いかもめ」(885系)とを乗り継ぐことにした。行きは金沢から博多までJR西日本株主優待券を利用して4割引。金沢にいると、西の方へ旅行する際にはJR西日本のみで相当の距離を移動できる距離を長く取れるので非常に使い勝手がいい。今回の場合だと約900km分である(直江津が一番効率いいんだけどね)。株主優待券2枚で6,000円以上安くなってうれしい。
 金沢708分発の「スーパー雷鳥」で新大阪へ。前日は仕事や支度で1時間半ほどしか寝られなかったこともあって眠い。この時間のスーパー雷鳥は5月にも乗っていて、その時は株主優待券でパノラマグリーン車だった。今日は自由席。会社の人と同行したこともあって楽しかった。それに眠気も吹き飛んでいた。
 新大阪からは一旦実家に戻り、1228発の「のぞみ9号」で博多まで。500系新幹線に乗るのは2回目だけど、前回乗ったのは500系のブルーリボン賞授賞記念列車だったから、300km/h運転はあまり実感していなかった。しかし今日は違う。博多まで十分満喫出切るのである。
 速い。新神戸もあっという間に過ぎたかと思えばいつのまにか西明石である。特に実感するのはカーブなどで速度を落としたあとの再加速である。初期加速度(列車が発車する時の加速度)と似たような感じだから、背もたれにも走行中の列車とは思えないGがかかっている(といっても車のGよりは小さいよ)のがわかる。そして姫路は300km/hで通過。感激モノである。
 岡山も、広島もあっという間。新大阪を出てから1時間20分ほどしか立っていないのだ。初めて山陽新幹線に乗った時など、広島に来るまででも2時間半ほどかかったのだから(停車駅が多かったこともあるが、停車駅の少ないものでも2時間ほどかかった)、その実感は大きい。
 次はギネスブックにも認定されている、停車駅間の最速区間である広島−小倉間。さすが300km/hの勢いが続く。感動しっぱなしで時間を忘れ、それが一層速く感じる原因となっていたかもしれない。これで自分も小倉まで1時間台を達成。そして博多までわずか2時間17分の“長旅”を味わったのである。
 博多から先はJR九州になるので、JR西日本の株主優待券は使えないのである。スーパーなどの株主優待券はグループ単位での利用ができるものもあるのに、JRの株主優待券はその点不便である。そのため大急ぎで長崎までの切符を購入することになる。みどりの窓口に列ができていたこともあるが、クレジットカードで購入する予定だったので並ぶ。切符を買い終えたのは発車2分前。大急ぎで感となけなしの知識(?)を頼りに出発番線へと向かう。乗り遅れたら「長崎駅改札前17時」に間に合わなくなる。幸いにも発車ぎりぎりで「白いかもめ」に乗りこんだ。




レザー張りのシートが特徴。885系「白いかもめ」
レザー張りのシートが特徴。885系「白いかもめ」



 「白いかもめ」の自由席は満席。時間ぎりぎりだったこともあり当然立たされる羽目に。トイレが片側に寄せられていてもう片側がミニロビーになっているのを見て「なんじゃこりゃ?水戸岡さん(JR九州の車両を設計しているデザイナー)もなかなか考えるなあ」と感心しつつ、どうせ立つのなら他に長崎で合流する仲間が乗っていないかと車内を探したらようやく知り合いに会う。その知り合いは東京の人で、東京から「のぞみ9号」に乗っていたみたい。佐賀で後ろの席が空いたので座る。




「白いかもめ」車端部のロビー
「白いかもめ」車端部のロビー


 シートはレザー張りである。外国ではレザーもよく使われているが、日本ではレザーは乗用車以外の乗り物では味わったことがないこともあって、高級感が得られた。体にフィットして寝不足の私には何とも気持ちがいいことか。シートにはチケットホルダー、ネット、握り棒がついていて不自由はしない。テーブルは座席間にある肘掛から出てくる。結構大きくて向かい合わせにしても使えるから、トランプするにはもってこいだけど、パソコンするには不向きかな(ただこの肘掛は跳ね上がらないから、いすに大人1人と子供2人が座るときとか不便みたい)。
 肥前山口で知り合いの隣の席が空いたので移動する。この知り合いは例年参加しているということもあって長崎での行動について話を聞く。肥前山口から先は絶景が続く。しばしミニロビーへ行ったりして楽しむ。小倉以西は5年ぶりである。5年前に乗ったときは「なは」のソロでちょうど海側上段だったこともあって絶景を楽しんだように思う(前回も眠かったなあ)。
 浦上からウイニングランの様に流して走り、16時53分に無事長崎へ到着。改札のところには仲間たちが既に何人か待っていた。100円で乗れる長崎電気軌道に乗り、築町で乗り継いで大浦海岸通へ。途中、時刻表仲間内で結婚した若夫婦に偶然会ったりした。近くのファミレスで取った夕食の席ではYahooオークションの話題が出て「結構みんなオークション見ているんやなあ」と思った。しかし「オークションを通じて取引した人」は9分の2だった。
 宿泊先は「みなと長崎会館」。私は初めてでも一行は毎年来ているためか宿の人に覚えられていた。アルコール入りで(関東の時刻表仲間では、アルコールOKな日は少ない)インターネットの話で盛り上がりながら、睡眠不足というのに1時ごろまで起きていた。


2000年 8月 6日 2000夏・長崎から


 この日は「夏・長崎から」を見に行くため、朝から稲佐山に登ってコンサートの会場を待つものと思っていたけど、午前中は団体行動とのこと。以前は朝から登って他のファンたちと並んでいたらしいが、何しろ「たまらんほど暑い中を並ぶ、そんな馬鹿げたことせずに午後に登る」という方針に変更したらしく、「白いかもめ」で長崎駅前に来る仲間を迎えに行くため、正午に長崎駅で集合ということになり午前中は自由行動となった。その仲間は川崎の人で、自分が今回同行している仲間と会うきっかけになったいい人である。「さくら」に乗っていたが列車が遅れたため、30分ほど到着が遅れるかもしれないとのことであった。
 朝食後、他の仲間は疲れや暑さのために宿で過ごす人が多かったが、自分は元気に長崎電気軌道を完乗したいため外出。一日乗車券を購入し、大浦海岸通→石橋→蛍茶屋→正覚寺下→西浜町(徒歩)公会堂前→長崎駅前(JR)浦上駅前→赤迫→長崎駅前と乗り、昨日乗った区間とあわせて晴れて完乗となった。途中MP3プレーヤーの電池が切れたのが痛かったなあ…。
 長崎で仲間と合流。「ハイパーサルーン」に乗らされてぼやいていた。宿に戻り身支度をしてから再度駅まで出て、吉野屋で昼食。金沢でもらった新香の券が1,000km以上離れたところで使えたのは収穫。そして水分を大量に買いこんでから、イベントバス(150円)で稲佐山へ。今日は「夏・長崎から」を見るのである。
 元々「夏・長崎から」はさだまさしが平和のために広島に原爆が投下された8月6日に長崎で平和を願って歌うという趣旨で始まったもので、今年で14年目とのこと。最近はピース・スフィア(貝の火)運動も並行して行っている。
 稲佐山ではすでに開場を待つ列ができていた。今日は日曜日ということもあって出足が早かったとのこと。暑さのためタオルを頭にかける。陽射しが強い上に影になるところがないので、他のみんなも同様にしている。正直言って焼ける。開場は順次始まっていて、先に並んでいた人から中へ入っていく。自分たちは後ろの方だけど通路に一番近い、いい場所を確保した。席を確保したあとに会場を散歩すると、知り合いに何人か出会う。昨日もあった若夫婦や、他の時刻表仲間にも。何しろ久しぶりに会う人も多く、少し同窓会気分である。
 17時。風船が舞う中、さだまさしがステージに登場。自分はさだまさしに詳しいわけではないが、コンサートの気分を味わえるのはいいことだ。ゲストが次々と登場。まずは佐田玲子。さだまさしの妹でこのコンサートには例年トップに出ているとか。いい声だ。次はうたいびと はね。ゆすの福岡版で、今年すごいファンが増えているとか。そのためか声援がさだまさしに対する声援並みに大きかった。つづいて「恋しくて」のBEGIN。ん〜、懐かしいなあ。個人的には一番良かったなあ。またどこかで歌ってみようかな。そして若大将・加山雄三。このころ陽が沈み出し涼しくなるとともに、歌が海とマッチして絶景になる。最後にホストのさだまさし。「広島の空」などを歌うけど、自分はあまり知らなかったのでこれを機会にもう少しさだまさしを聞いてみようかと思う。
 21時、コンサートが終了しアンコール曲が流れる。まあ最後まで入ると混むということもあって、21時半前にバスで下山。コンビニで夕食を買ってからタクシーで宿へ。宿ではTVで見る組と合流(例年行っていると山に登らないで宿で見る人も出てくるのである)。この日は疲れもあったけど寝たのは結局1時を回っていた。


2000年 8月 7日 鉄道と平和を考える


 今日は「鉄道と平和を考える」日である。
みなと長崎会館を9時半頃後にして、バスで長崎駅へ。10時に当日遠方から来た人やコンサートを別行動で見ていた人と合流した。早速暑い。そして長崎電気軌道の慰霊碑前へ移動、今日はここで文字通り、鉄道と平和を考えるのである。
 今年はバスジャック事件が発生したことから、「もしそのバスにあなたの乗っていたらどうする?」というものであった。「おそらく何も出来ないだろう」という意見が大半であった。まあ途中で窓から脱走した人の話を取り上げ、責任問題についての議論にもなった。
 これを列車に置き換えてみて「トレインジャック」が起こったらどうするか。やっぱり「何も出来ないだろう」という意見が大半。その対策として、自分は「非常自体に備えて、列車を止める必要が生じた場合はどうしたらいいのか、といった情報を知人なりに知らせたらどうか」といった教育論的なことを主張したが、「突発的なことに対しては、あらかじめ準備していても全く意味がない」という意見と対立してしまい、結論は結局出なかった。まあ個人的に10回に1回くらいしか役に立たない程度のモノなら、十分効果はあると思うけどなあ。
 イベント終了後、路面電車で長崎駅に戻り、とりあえず解散。「びわだんご」などたくさんお土産買ってから、近くの店で長崎皿うどんを食べる。さすが美味しい。ちゃんぽんも食べたかったけど、こちらは来年の楽しみに

 駅に戻ったら何人か仲間と出会う。自分は15時台の普通で鳥栖まで行く予定。けど同行者は居ないみたいだったから一人で乗ることに。でも九州まで行って気動車に乗らないのももったいないなあ、と思ってたらシーサイドライナーが来たので、諫早まで乗る。キハ200のシーサイドライナーは初めてだ。
 キハ200自体は「赤い快速」などで乗ったことがあるので快適なのは分かる。さっそうと走る。またブラインド閉めても外が見やすいのは関西ではうらやましい存在、と思った。諫早では公衆電話からインターネット。暑い最中でのインターネットは辛い。画面見にくい。
 諫早から鳥栖まではのんびりと普通。車両は813系で快適。お客さんも少なく、ずっと座ってられる。途中何度も「白いかもめ」や「ハイパーサルーン」と行き違ったり追いぬかれたり。景色も寂しいところをずっとゆく。北陸本線の方がよっぽど開けているなあ。肥前鹿島から少し開けてはきたけど、肥前山口まで1時間半ほどこんな景色だった。佐賀はもうすぐだ。2駅先の久保田で唐津線と合流。佐賀はさらに2駅。

 佐賀から通勤客がどっと乗ってきて、立ち客も多数出た。今日は平日なんだ…。今日は博多でラーメンを食べようと、犬山にいる後輩にメールで聞くと「一蘭」という店を紹介してもらう。やがて鳥栖に到着。鳥栖では「さくら」の併結シーンを見る。後から到着した編成に乗車し、先に着いていた編成に併結するために一旦出発し、少し進んだところからバックで別のホームに進入する「ホーム間移動」も出来ることが発覚。この時間を利用して駅弁を買うものも多数いる。昔ながらの雰囲気だ…。自分も乗りたくなってくる。
 鳥栖から普通列車に乗車。「さくら」より先に出るが、すぐに抜かれる。他にも途中で特急6本ほどに抜かれるので、博多まで特急だと25分ほどで行くところを倍の50分くらいかかってしまう。
 博多からはムーンライト九州の予定なので、1時間ちょっと時間はある。「一蘭」を探す。ちょっと迷ったけど何とか見つかった。行列が少し出来ていて、20分ほど並ぶはめに。まあ時間もあるからいいか。一人ひとり敷居がついていて、食べることに専念できるシステム、自分の好みを選んで注文するシステムなど独特のものだった。ラーメンと替玉(麺のみのおかわり)を頼む。出てきた麺が普通にしてたらちょっと柔らかかったので、替玉は固めに変更してもらった。味はあっさりしていて良かった。
 「ムーンライト九州」に乗るため、ホームに上がる。えーと何分発だったっけ?とホームに上がるところの掲示板で確認したらなんと2分後ではないか。大慌てで乗り込んだ。よくラーメン余裕こいて食べていたなあ。
 車内を移動して、知り合いが乗っていないか見てたら、大学時代にコンピュータ関係でよく話していた、さだまさしファンの仲間に偶然合流。彼等も毎年来ているから出会うのはおかしくないけど、向こうはかなりびっくりしていた。それと時刻表仲間の知り合いにも合流。こちらは前日から分かっていたから「こんばんは」っていう感じ。
 途中、下関でホームに降りて撮影したりした。厚狭過ぎてしばらくしてから寝た。


2000年 8月 8日 そして金沢へ


 早朝、新大阪に無事到着。一旦実家に戻り仮眠。親と長崎の土産話をしたり、大阪での出来事を話したり。この日は金沢に帰るだけ。17時50分頃に実家を出て、新大阪1819発の新快速で帰省。今朝使っていた18きっぷをさらに利用したので、たっぷりと元を取ったことに。長崎から金沢まで4,600円(ムーンライト九州の指定席代510円は別)とは安いものだ。あとはいつもの乗り継ぎで金沢へ。平日だったから福井からは6両編成だったなあ。
 今回は4日間を本当に有意義に使った、といった感じだった。曜日の関係で来年の夏休みは難しいかもしれないけど、機会があればまたどこか旅行へ行きたいものだ。





今回の旅の簡単な行程です。


8/5
金沢→新大阪→博多→長崎(みなと長崎会館 泊)

8/6
長崎市内観光、稲佐山でコンサート(みなと長崎会館 泊)

8/7
長崎市内観光後、長崎→諫早→鳥栖→博多→(車中泊)

8/8
→新大阪(帰省)→京都→安曇川→近江今津→福井→金沢
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1999年08月14日

1999年8月 一年越しの広島遠征

 このページはかなり久しぶりの更新になります。それもそのはず、研究や仕事で長期旅行に出る間がなくて更新をどうしようか考えていたからですが、日帰りや数日の短い旅行でも書いていけば結構楽しいかなということで記すことにしました。今回の広島遠征は昨年にも計画していたのですが、試合が雨で流れたために一年越しの遠征となりました。以下、この旅行での出来事を記します。



1999年 8月13日



 今年は昨年行けなかった広島に、何としてでも行こうと思っていた。18きっぷ2回分で遠征である。
 東海道・山陽本線の普通列車を友達と待ち合わせて乗り継いでいくことも考えたが、せっかく広島まで行くのだから平成11年1月11日午前11時11分に開業して話題になった井原鉄道に乗ろうと思い、大阪を早めに出て、井原鉄道に乗ってから福山で友達と合流することにした。
 新大阪741分発の新快速に乗る。今日は平日なので姫路−福山間快速の「チボリ号」が運転されないため、この新快速を利用して山陽方面に行く人が多くいるように感じる。私は新大阪から乗るので大阪から着席できるのであるが、姫路まで立っている人もおり気の毒である。
 定刻に姫路に着く直前、隣のホームに入線する直前の115系4連が見えた。中2両が元117系である115系3500番台だったので、乗るなら中間車だな、と思った。ホームには列が結構できているのが見える。列車から降りるやいなや並ばないと座れないな、中間車に向かって、と考えていた。
 ホームを降りて中間者の列に駆けつけると、案の定、列は1両に3個所できていた。115系3500番台は真ん中は扉ないから並んでも意味ないよ、と思いながら左の列の左側にいた。するとまもなく115系が入線してきた。真中の列は両側に広がる。扉が開くと私は通路側で向かい合わせの進行方向逆側とはいえ、何とか座れた。




発車時点から超満員の姫路903発備中高梁行き車内
発車時点から超満員の姫路903発備中高梁行き車内



 姫路903発の備中高梁行きに乗り継ぐ人が多いのではないかと想像した。特にお盆ということもあって、この区間の混雑は半端ではないだろうと予想したのがまさに的中した。18きっぷが5回分統合されてからはこの列車の混雑も多少緩やかになっているという話だったが、5月改正以降は混むんじゃないかな、と想像していた。というのは、5月改正以前は姫路841発の岡山行きがあって、18きっぷシーズンはこちらも利用されていたが、これが上郡止まりとなり(代わりに姫路800発が岡山行きになった)、この列車を利用していた人が903発になだれ込むと予想したからである。
 列車の混雑はひどいもの。私の乗っている車両は座席はすべて埋まっており、通路も人で通れない状態。扉部分には数十人立っており、混雑率で言うなら200〜250%であろうか。これは3500番台だからということもあるけど。もしこれが以前のように103系で運用されていたら、混雑率は150〜200%程度で済んでいたであろうが、ロングシートで1時間半というのはもっと酷である。また、姫路をこの列車が出る数分後に出る赤穂線経由岡山行きがあるのだが、こちらの混雑を避ける客で結構埋まっていた。
 列車は山陽路を快走する。肘掛部分、1時間半も通路に立つのは酷だろうからと、通路にいる人に座らせてあげたら喜んでもらえて嬉しかった。転換クロスから見る船坂峠は快適である。それにしても1時間に1本とは何とかならないかな、と感じる。1時間1本しかないのは上郡−和気間のわずか3駅間だけなので工夫すれば何とかなるように思うのだけど…(余談だが、ここと似たような性格を持つ米原−大垣間は本年12月に1時間2本に増発される)。
 混雑が激しかったことから、各駅とも乗降に時間がかかり、岡山へは5分くらい遅れて到着した。私は伯備線で総社に行く予定なので、そのまま乗っていたが、大半のお客さんは岡山駅で下車。荷物を持った人も多く、3500番台は2扉ということもあって乗降に時間がかかった。私は総社から井原鉄道に乗る予定であったが、総社では4分しかないことから、JR乗り入れ区間は乗らず、手前の清音から乗ることにした。




転換クロスで快適なイベントカー
転換クロスで快適なイベントカー



 混雑が一気に解消した列車は、予定より4分ほど遅れて岡山を出る。清音にも4分くらい遅れて到着。清音には中間改札はあるが、一旦改札の外に出た後、井原鉄道の改札から駅に入り、やがて井原鉄道がやってきた。来たのは車内が転換クロスのイベント車だった。ラッキー。
 清音を出ると高架になり、長いトラス今日を走る。列車は加速もよく、途中110km/h出していた。これだけの速度が出せるなら北越急行並だな、という感じだけど、北越急行よりカーブが多いので最高速で突っ走れる区間は少ない。それにしても第3セクター路線の中では速い部類に入る。岡山に直通する快速列車を出したり、山陽本線が不通になっても対応できるようにして欲しいところである。
 やがて井原に到着。このとき知ったのであるが、井原鉄道には全線フリーきっぷが1110円で売られている。値段のつけ方は開業日と同じノリで付けたんだろうな、という気がする。井原駅は綺麗で、待合室のほか町の施設などが入っている。駅前からバスセンターまで2車線道路が伸びており、街の開発に合わせた造りになっているのがすごい。バスセンターまで歩いてみた。バスセンターまで10分ほどだけど、スーパーのほかは特に大きな建物はない。井原自体もそれほど大きな都市ではないというのもあるけど、これを気に発達して欲しいものである。




新装開店!!綺麗で驚きの井原鉄道井原駅
新装開店!!綺麗で驚きの井原鉄道井原駅



 バスセンターのほかにも駅前からバスが出ている。井原は岡山県に位置するが、流れとしては笠岡と同様、岡山よりも県境を越えて福山への流れが大きいところである。そのため、駅前からも笠岡を経由して福山へ向かうバスが20分間隔で運行されている。井原鉄道は約40分間隔で、1日3本の直通以外は神辺で乗りかえる必要があるなど、苦しいように感じる。
 井原から福山行き直通列車に乗る。こちらはセミクロスシートだ。スーパーで買った弁当を食べながら気動車に乗ると何だか気持ちいい。お腹一杯になるとやがて神辺に到着。神辺はJRのホームに入った。神辺の乗り換えは不便だと聞いていたが、車内から見た限り、福山から井原に行く場合、跨線橋上って反対側に行き、改札を2度(?)くぐる必要があるように見えた。福山からは架線下DCで、ロングシートの105系ばかり来るところにクロスシートなので快適であった。
 福山で下車。改札の外に出て、10分くらい散歩したあと、Heart-inに寄ってからホームで友達と合流。広島快速にて一路広島を目指す。車内で話していたらあっという間にセノハチにさしかかった。昔の有名撮影地などを通ったあと、瀬野のスカイレールが見える。スカイレールは次回の楽しみとして取っておく。そうこうしている内に1514に広島に到着。
 改札前で広島出身で帰省中の後輩と合流、もみじ饅頭のお土産を買ってから広島市電に乗る。宇品行きに乗り県庁前で下車。ロッカーに荷物を預け、お茶を買って球場へ。切符買うのに20分ほど待ち、球場に入る。とにかく暑い。熱戦沸騰である。それでもプロ野球はナイターなので恵まれていると思う。こんな最中、甲子園では高校球児は暑いところで試合をしているのだから…。今日はお盆休みで混雑するかなと思いきや、観客は17,000人と思ったより空いていた。対戦相手は首位を行く中日だったけど、そんなに客が多いわけでもなかった。




広島市民球場でのカープ応援風景
広島市民球場でのカープ応援風景



 試合は序盤から中日のペースで、2桁安打で5点リードとぼろ勝ちムード。さすが首位を行くチームだけのことはある。広島は声を張り上げて応援するも5回までランナーが出ず、中日・川上の完全試合ペース。6回にようやくヒットが出たが、次が併殺にで27人ペース。8回に嶋の2ランでようやく待ちに待った「宮島さん」を歌うも、声がかすれてきたこともあって苦しかった。結局は2−6で敗戦であった(詳しくは「笑顔でストレート」のプロ野球観戦記を見てください)。広島独特の「立ったり座ったりする応援」ができたのはうれしかった。応援歌も歌ったけど、立ったときに大声で叫ぶので応援歌よりも声を出したのでのどが疲れてしまった。
 試合後はお好み村へ行きお好み焼きを腹いっぱい食べたあと、ホテルに泊まる友達と分かれ広島駅まで歩く。駅に着き、ホームに向かうころに「ムーンライト山陽」が入線、翌日の目的地である舞鶴に向かった。広島は負けたけど、楽しい一日だった。また来年も広島に行きたくなった。





今回の旅の簡単な行程です。


8/13
新大阪→姫路→清音→井原→福山→広島→本通(野球観戦)広島

8/14
広島(ムーンライト山陽)大阪→福知山→東舞鶴
posted by うえしょう at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1998年08月09日

1998年8月 よさこい四国、はじめての周遊きっぷ

 まずこのページの作成記念に、この8月4日から9日まで四国を旅行したことを記していきます。今回の旅行はゼミでの旅行なのですが、現地集合・解散を活かして、ほとんど四国で特急には乗ったことがなかったので、この機会に周遊きっぷを使って四国を乗り回そうと思ったのです。きっぷはこの4月から従来の周遊券に変わって登場した「周遊きっぷ(四国ゾーン)」で、行きは「ムーンライト高知」のグリーン車、帰りは新登場の「サンライズ瀬戸」を利用することに。以下、この旅行での出来事を記します



1998年 8月 5日 四国旅行1日目


 昨日の「ムーンライト高知」は、最高であった。
 新大阪を2359に出た。グリ−ン車の座席は、ひざ置きが付いており、さらに独立した足置きがある。別になっているので、足の長さに合わせて自由に置けるのが良い。それにうれしいのが座席に付いている小物入れ。盗難防止のほか、私の場合だとヘッドホンステレオを入れて音楽を聞くのに使った。こうすると手元に置けるので便利だ。このように優雅なのは利用者側にとっては良いが、座席定員は33人と少ないのでJR側にとっては収入が見込みにくいのではないか。
 大阪駅でけっこう乗って来た。ホームに列着する時に見えた列は長い。今は18きっぷのシーズンなので、座席指定車が1両(「ムーンライト松山」も入れると3両)連結されており、さっきの行列はこの席への列だったのだ。
 私が今まで乗った夜行列車の中で、最もデラックスなのはもちろん「トワイライトエクスプレス」のロイヤルだけど、寝台車両を除くとこれである。「ミッドナイト」などのカーペットカーもいいけど、独立座席で幅は新幹線のグリーン車なみだから「ムーンライトえちご」(最近足置きがなくなったが)や「はまなす」のドリームカーよりも良い。
 加古川までは記憶があるが、姫路と岡山は知らない間に通過してしまった。でも途中瀬戸大橋は11分30秒でのんびり通過していったのを見た。多度津、阿波池田とも覚えているが、半分は夢の中状態。土佐山田の手前の駅でスイッチバックするあたりからは完全に起きていた。
 高知で下車すると、何と東京の知り合いに会う。彼女は広島に行く途中に時間が合ったので高知に来たとのこと。私と違って18きっぷだったので普通車に乗っていたのだ。そして二人してウイリーウインキーでパンを買い、私は南風で、彼女は土電で来た道を引き返すのだ。
 南風の後、多度津から引き返し、キハ185の好きな部の同輩が撮影をしていた、というポイントでもある津島ノ宮へ。津島ノ宮は8月4日と5日しか営業しない臨時駅で、363日は休日である。ちょうどこの日は営業日だったので寄ろうと思ったのだ。そして300円で津島神社にお参りした。結構人はいたが、参拝客が大半で鉄ちゃんは見なかったなあ。
 そして121系で坂出へ。車内に乗っていた女の子2人が話しているのを耳にする。「汽車と電車ってどう違うんですか?」「ウィーンウィーンっていうんは電車で、古い白い車両でゴトンゴトンっていうのは汽車。岡山や松山行くんとか、高松の辺走っているのはだいたい電車。何で私こんなに詳しいんやろ…」「じゃあ高知ヘ行く特急は?」「新しいけどあれは汽車。電車を見分ける屋根にひし形のもんが付いてたら電車」といった感じ。私は「こいつ『道ちゃん』やな?」と思いながら見ていた。でも多度津で111系が停まっているのを見て「あれは汽車」と言っていた(111系は古い車両だけど「電車」)。坂出からうずしおと接続するが、さっきの子は「うずしお乗りたい。けどYOUNG WEEKEND CARDの期限切れちゃったし…」。何だか四国に居るという実感がする。




小松島駅跡のC12+50系客車
小松島駅跡のC12+50系客車



 私はうずしおに。はじめ間違えて指定席に座ってしまったが、でもすぐ自由席に移ったので問題なかった。高松でどっと人が乗ってきたが、4連なこともあり席れないというような事はなかった。55分で徳島に到着というのはさすがに速い。バスの半分!?。
 徳島からは牟岐線で中田へ。以前はここ中田から小松島港まで小松島線という最も営業キロ数の短い(1.8km)路線だった。現在では宮崎空港線かな?夏にトワイライトするのは暑い。汗がダラダラ出る。そんな中、小松島に行くとC12と50系客車が停まっているのを見つけた。
 50系はいつ廃車になったものを持って来たのかな?と思って車端部を見たら、平成3年に工場入りしていることから、平成4年まで高徳線で使っていたものだろうと思う。ここで余韻に浸ってから、小松島港まで歩くと、南海のマークが見える。関西にいるのかと思う。「鉄道廃線跡を歩く2」にあった小松島港駅のホーム跡を使ったバスターミナルがどこにあるのか分からなかったので、地元で犬連れて散歩していた人に聞くと、数年前に取りこわされ道路になったという返事が返ってきた。残念である。
時間が少なくなっていたので、帰りは走って南小松島に出た。そして阿波富田。暑かった。


1998年 8月 7日 今日は九州


 ゼミ旅行も無事終わり、助教授らが出発するのに合わせて私も出発、阿波富田から「剣山」に乗る。吉野川は清流のように美しい。四国の川はどの川も清流みたい。
 阿波池田で「南風」に乗り換え。ここでJRバスでチャレンジ20,000kmみたいな企画をしているのを知る。南風は5連だったが大変混んでおり、私は4両目の乗務員の所の椅子に座る。この車両はN2000系だが高知止めなので高知に着く前に前の3両に移動しなくてはならない。大歩危では5人しか降りず、高知までこの席にいた。暑いのが欠点だが、この席は半個室の状態なのでまるで「歌い放題」である。さすが2000系、大歩危付近でも80〜100km/hで走るので速い。




宿毛−佐伯間を結ぶフェリー 佐伯港にて
宿毛−佐伯間を結ぶフェリー 佐伯港にて



 高知に近くなって何人かが3号車へと移動したので、私も移動。見事、座席が確保できた。それと同時に、大量の乗客が乗ってきた。高知から3両というのは短いのではないか。佐川、須崎と停車するも、ほとんど降りない。窪川でほぼ立客はなくなる。ここから車掌が女性になり、土佐くろしお鉄道に入る。ループを週ぎて、少し行くと海が!これまた清流!
 そして中村、乗客の7割ほどが下車、一気に軽くなった。ここからは昨年開業した区間。本家・清流の四万十川をわたると、120km/hで駆け抜けて行く。
 宿毛からはフェリー乗り場のある片島まで2kmほど歩き、佐伯ゆきのフェリーに乗る。型にはまらない「四国一周の旅」である。
 佐伯からはJR佐伯駅まで歩き、ここで18きっぷを買うことに。423系でのんびりと九州の道を。大分って意外と近いと感じた。あと今日は大分でお祭りがあったためか、夜なのに、客が多いのにびっくり!
 別府では駅前高等温泉(どこが“高等”やねん!狭いし…)に入り、家に電話したあとフェリー乗り場へトボトボと3キロほど歩いた。今晩は八幡浜行きのフェリーで寝るのだ。当初はこの日、松山YHに泊まろうとしたのだが、この日は高校総体客が多くて取れなかったために断念し、そのために九州にわたることにしたのだ。



1998年 8月 8日 八幡浜から再び四国一周


 八幡浜には230に着いたが、船内休憩ができるのでそのまま寝てたら、係の人に「お客さん、時間ですよ」と起こされた。時はすでに455、他の客は見当たらなかった。
 早朝の八幡浜を歩く。フェリー乗り場に地図がなかったので、はじめ市役所の方に向かったら、駅に近付く気配がしなかったので戻りながら南下?する道を行くと、ようやく線路が見えた。間違えながらゆっくりだったので、50分ほどかかったけど実際は1kmほどだろう。




松山に到着した宇和海。右に写るのは8000系しおかぜ。
松山に到着した宇和海。右に写るのは8000系しおかぜ。



 まず宇和海に乗る。朝早いのに八幡浜から30人くらいはいただろう。“内山線”(伊予大洲から内子を経由する側の新線の通称)あたりはかなり飛ばしていた。松山で「いしづち」に乗り換え、多度津へ。多度津からしまんとに乗っても良かったが、6000系に乗りたかったので宇多津までゆく。この車両なら瀬戸大橋渡るのも快適だろう。またゆっくり乗りたい。多度津で今日も111系を見たが、かなり老体にムチを打って頑張っているという感じがした。岡山まで入る111系が全てこれになるのも時間の問題かな?
 宇多津から「南風1号」に乗る。昨日阿波池田から乗った列車である。今日は土曜ということで、昨日より混んでいたため、私は立席となった。阿波池田まで40分くらい立っていた。阿波池田からはトロッコ列車「おおぼけトロッコ」。WENSのツアー客などで満席、トロッコ列車の人気をうかがわせてくれる。明石海峡大橋もできたことだし、また大歩危という立地条件も良いのだろう。こちらは1+1両(キハ185+キクハ32)だが満員であった。
 大歩危から「南風3号」で高知へ。そしてバス南国号で松山ヘ。途中「チャレンジ」のため久万高原と松山でバス停バックに撮影。松山から今度は下灘の夕日を見に行くため、伊戸長浜経由八幡浜ゆきキハ32に。ここの夕陽は有名で、7月の終わりに読売新聞にも出ていたこともあって、行ってみたくなったのである。




伊予長浜方面八幡浜行きキハ32普通
伊予長浜方面八幡浜行きキハ32普通



 松山を定刻に出た列車は、途中少しずつ乗客を降ろしながら行く。伊予市を過ぎ、向井原から旧線に入ってしばらくは山の中を走るが、しばらく行くと、瀬戸内海。内海なのに周辺に島がないからか、きれいで見事なタ日である。このキハ32という広いキャンバス一面に描かれた夕日は絶景である。明日の朝日を夢見て夕日を見るのだ。
 下灘では夕焼けの駅を干渉しながらこの風景を何枚も写真に撮る。夕日に描かれたシルエットが何ともいえない。自分の入ったのも…。
 やがて松山行きがやがてやってくる。1時間余りのタ日見物。こうした所へはブルーな時に来るといいかもしれない。
 松山からは市内電車で道後温泉へ。YHもチェックイン。設備はホテル並みにゆかた、タオル、歯ブラシがあり(自由に使える)、朝シャンもできる。朝食もホテル並みのバイキング。シーツなどにYHらしさもあるが、まさに西の横綱である。
YHから温泉に。結局、本館の「神の湯」に行ったが、「西浴室」が改装中だったこともありは「東浴室」はとても混んでいた。「椿の湯」に行ったらよかった。この日は2330に就寝。


1998年 8月 9日 しまんととよさこい


 朝、松山で起きたら7:00。しまった…!これじゃ「椿の湯」に入れない。朝6時に起きて温泉行こうと思ったのにこれじゃ時間がない。朝食は主食がバイキングでパンかごはんが選べる。私はごはんにした。
 行きがてらに温泉行くことも考えたが、万一のことと、ゼミ旅行でやけどした足のことを考えてやめた。そしてYHを後にし、公園前から松山駅前まで市内電車に乗った。何とか次に乗る「宇和海」には間にあったようだ。
 宇和島からは「清流しまんと」に乗る。キハ54にトロッコを連結するという形。通常予土線を走っているのはキハ32であるが、トロッコを引くには非力なことからキハ54が使われるのである。今日は日曜日ということもあって、普段はローカル色の高い予土線が、観光客でかなり混んでいた。清流しまんとは通常のダイヤに挿入した形の列車なので、普段利用するお客さんも多いのか、車内は立ち客も結構出ている。
 途中、魚がいっぱい描かれたキハ185の臨時特急「I LOVE しまんと」にすれ違う。こちらは臨時ということもあってかお客さんが少ない。理由はやはり臨時だからなのか、所要時間がかかるからなのか…。ペイント特急としては後発の「あい」(徳島−阿波池田)がそこそこの乗客を乗せて走っているのに、寂しい限りである。

 江川崎からトロッコ車両に乗る。トロッコも宇和島を出た時点では満席とアナウンスされていたが、江川崎発車直後では「残席が2席あります」とアナウンスされた。たぶん機械の関係で“ダブリ発券”(重複発券)があった場合のための席だろう。結局この席もすぐにキハ54にいたの2人の乗客が利用することになった。さて、「清流しまんと」はというと、トロッコで川のほとりをのんびりと走る。ダイヤも通常のものから若干寝かせてある(ゆっくり走る)が、代わりに土佐大正での待ち時間を減らしているので全体の所要時間は変化しないようになっている。四万十川は途中沈下橋がたくさんあって驚く。沈下橋は堤防が低いからあるわけで、堤防が低いからまさに清流なのであって、そう考えると沈下橋は清流のシンボルなのかもしれない。そうこうしているうちに土佐大正につく。おおぼけトロッコとは違って貨車改造のトロッコだったので、走行音や乗り心地が面白かった。これはいい列車だ。
 若井からは一駅だけ土佐くろしお鉄道に。一つ気になったのは、土佐くろしお鉄道では休日にワンマン列車に乗ると半額になるというキャンペーンを進行中であるが、これは予土線のワンマン列車の窪川−若井間でも適用されるのでだろうか。私の乗った普通列車は、「清流しまんと」として運転されるときははツーマンなので、18きっぷの客を中心に、正規の200円を徴収していた。しかし通常時のワンマン列車だったら、こうしたお客さんは100円しか払わなくで済むのだろうか。
 窪川から普通に乗り「二尺玉三発」の花火大会が開かれたという須崎に寄って、よさこいの街、高知へ。よさこい祭りの案内所に行き話を聞いてパンフレットをもらってから、土電に乗ろうと御免に行くことに。周遊きっぷだと特急で行けるので速くて便利。後免町からの土電はいつもは1時間に3本なのに、今日は特別ダイヤで約7分おきに運転されていた。この日は前夜祭で、花火を見に行く客でいっぱいで、はりまや橋で降りるのにも苦労した。




'98よさこい祭り前夜祭の模様
'98よさこい祭り前夜祭の模様



 よさこい祭り自体は、前夜祭ということで中央公園のステージでよさこいを踊っている。地元の人が多い中、北海道「YOSAKOIソーラン祭り」のチームや鳥取からのチームも駆けつけてきた。結構人が多かったとはいえ、大阪のお祭りに比べれば少ないもの。そこそこステージを見ることができた。確かに誰でも簡単に参加できそうで、若さあふれるパワフルさがある祭りというのは少ない。そもそも、このよさこい祭りが高知で始まったのが1954年だから、歴史的にも浅いのに全国的に有名になっているのはすごいと思う。それが札幌などに広がったのもまたすごい。
 帰りの時間が迫っていたので、ステージは40分ほど見て後にした。帰り道、高知駅周辺から花火が若干見えた。音は結構響き渡っていた。そしてお土産を買って、特急「しまんと」に乗り込んだ。
 「しまんと16号」はTSEであった。TSEは2000系の初期型で、ローレル賞のプレートが捧げられている。量産型の2000系には冷風口がないが、TSEにはキハ185系同様、冷風口が付いているので、よさこい帰りには涼しくて良かった。途中対向列車が遅れて、「サンライズ瀬戸」に接続しないのではと危惧したが、阿波池田で3分遅れていたのが坂出で1分程度の遅れとなり、「サンライズ瀬戸」も発車を待っていたこともあって無事接続した。
 「サンライズ瀬戸」はやっぱり快適、「寝るのなら」である。というのは、今回大阪で下車する私のように「昼行列車」感覚で利用するとなると、座るのに苦労する。ノビノビ座席が583系のようにまん中の通路をはさんで両側にあるという形式ならまだ良いのだけど…(こうすると定員が若干減るかもしれない)。リネン類やカップホルダー用の紙コップなどのサービスもあったが、は、途中から乗客が来るかもしれないと考え、使わないようにした。読書灯や個別の冷風口などサービスも良いが、「斜めにじゃないと座りにくい」ということもあって、他のお客さんも座っている人は斜めになっている人が多かった。
 岡山で「サンライズ出雲」を併結し14両編成になった。少ししてミニサロンに行ったが、先客のおばちゃん連中が23時半まで占領していたので、結局加古川付近でおばちゃんたちがいなくなってから行った。ちょうど舞子付近も通過したので、明石海峡大橋のライトアップがきれいだった。そうこうしているうちに三ノ宮を出る。対向列車は大阪からの帰宅客という感じで、こちらは優雅なものであった。
 大阪に到着する。ホームを見る限り、大阪からのお客さんも10人以上はいるようであった。一方、大阪までのお客さんは結局3人いた。みんな考えることは同じなのだなという感じであった。また、私の使用した座席に大阪からの乗客がいるのかどうか気になったので、サンライズ瀬戸の発車直前に外から見た(あらかじめ外から見えるように、自分のところのカーテンを開けておいた)。どうやら誰も使用していなかったようだ。もったいないような気がするが、ひょっとしたら静岡以東で誰かが使用するのかもしれない。
 大阪から終電の高槻行きで吹田まで出て、自宅へ戻った。





今回の旅の簡単な行程です。


8/5
新大阪→高知→多度津→津島ノ宮→坂出→徳島→中田(廃線跡めぐり)南小松島→阿波富田(2泊)

8/7
阿波富田→阿波池田→宿毛(徒歩)宿毛(片島)(フェリー)佐伯→別府(フェリー泊)

8/8
八幡浜→松山→多度津→宇多津→阿波池田→大歩危→高知→松山→下灘→松山→道後温泉(泊)

8/9
道後温泉→松山→宇和島→窪川→須崎→高知→後免(徒歩)後免町→はりまや橋(よさこい祭り見物)高知→坂出→大阪→吹田
posted by うえしょう at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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