2001年07月03日

2001年7月 さよならレッドトレイン50系

 今回は7月2、3日と2日間夏休みを頂き、九州まで「レッドトレイン」50系客車を乗りに行ってきました。50系客車は海峡線で改造、塗色変更したものが走っているが、オリジナルの50系はすでに筑豊本線にしか残っておらず、これも今年度には電化によって消える予定であり、乗り納めをしたく思い旅立った。
 この時期に休暇を取ったのは、50系は朝夕に走ってますが、「夏至に近い方が長い時間明るいから」という点、夏休みが取得できるのは7月以降であるという点からです。
 他にもキハ181系としては見納めになる特急「おき」や西鉄50番バスや寝台特急「あさかぜ」にも乗ってくるなど、満喫した旅行となりました。




2001年 6月 30日 「だいせん」で山陰路へ



 今晩は山陰へと旅立つ日。前日は仕事が遅く、金沢で後片付けをしていたら夕方になってしまう。「サンダーバード40号」で大阪へ。実家で夕食と準備をして、「だいせん」に乗るべき大阪駅へ向かった。今回のきっぷはJR西日本の株主優待券を利用した「金沢(北陸・湖西・東海道・福知山・山陰・山陽・東海道)尼崎」という大回り乗車券、特急券、急行券である。手持ちのものの期限が平成13年6月30日(乗車券類は当日から有効のものであれば良い)であることから、乗車券は6月29日から有効と指定した。金沢から大阪へは時間がなかったこともあるが、特急も安くなるということで、サンダーバードに乗って帰ってきたのである。




出雲市延長「だいせん」。前方展望もできる。 福知山
出雲市延長「だいせん」。前方展望もできる。 福知山


 「だいせん」出雲市延長運転である。「だいせん」の急行券も割引にしていることもあるが、750円とは安いものだ。「だいせん」には7年前の冬に山陰旅行でお世話になって以来である。DC後は初めてであるし、大阪から乗るのも初めて。乗車率は80%程度となかなかの入りで大阪駅を出発した。山陰までの客と、福知山線沿線へのきたく客が交錯している様であり、私の隣は尼崎から宝塚までという乗客であった。

 ここであることに気がついたのだ。デジカメは持ってきたが、実家でフル充電した充電電池と充電パックを置いてきてしまったのである。電気屋で充電電池を買うことはできるが、このままではデジカメは宝の持ち腐れである。とはいえ一眼レフカメラの方は無事なので、こちらで撮影することにする。(そのため前半の写真は一眼レフカメラで撮ったものをスキャナで読みこんだものを掲載している)
 福知山で帰宅客と京都方面からの乗客が入れ替わり、車内の動きも一段落したため、ここから寝ることにする。



2001年 7月 1日 惜別!キハ181系「おき」、50系レッドトレイン


 倉吉を過ぎて放送が鳴ったと同時に起きた。5時半起床である。前日は1時半に寝たのでかれこれ4時間。この分だとどこかで眠くなるなあ。「だいせん」は週末は出雲市直通の急行なので、いままでなら近距離客が結構利用していたけど、車内は静かである。自分のような利用者には歓迎だけど、利用率が悪いのでもったいないようにも思う。もっとも、近距離客でも急行料金を払って乗っている人もいたけど。
 高架化された出雲市に6時26分、定刻に到着。改札の外に出ようと思ったけど、急行券を確保したかったし、とりわけ何もなさそうなので改札内にいた。次に乗る浜田ゆきは既に入線していた。キハ58の2連、それも非ワンマン、先頭車両は原色という古き良き時代である。だいせんの写真を撮る人がいっぱいいるなあと感じていたけど、そうした鉄ちゃんがみな浜田ゆきに乗ってくる。キハ181の「おき」「くにびき」を撮るのだろうなと思ったが、案の定、海に近い駅で降りていく。沿線にはカメラの砲台が並んでいる。1ヶ所で多いところには10台くらい。「おき」通過40分前でこれだから、まだ多くなるであろう。予想通りである。




キハ181系としては見納めの「おき」
キハ181系としては見納めの「おき」



 確かに7月7日のダイヤ改正で特急がキハ187系に置き換わるため、今日はキハ181系で運転される最後の日曜ということもある。しかし、キハ181系自体は「いなば」などでまだ使われるのに、何でこんな人だかりなのかなあ。「おき」「くにびき」あたりは3連と短く、グリーン車をつないでいないこともあって昔から地味な特急として知られているから、今日の人だかりには驚いた。前に旅行した時なんて沿線で撮影している人なんてほとんどいなかったんだけどなあ。
 太田市に到着。「太田市−松江間最速43分」というのぼりが立っている。いままで1時間近く係っていることを考えると大幅なスピードアップ。他にも55キロ制限の標識の上に「『95』(95キロ制限)187系に限る」なんていうのもあった。本則プラス40キロか…。なんだかキハ187系にも乗りたくなってくる。スピード自体ならスーパー北斗やサンダーバードなど速い列車は結構あるけど、線路条件を考えるとここも相当なものがあると感じた。
 江津ではキハ181系「おき」に追いつかれる。自分は「おき」に乗るため江津で下車し、「おき」をホームから望遠レンズで撮影する。本来ならデジカメでも撮りたいのにねえ。




3連と短く寂しい特急「おき」 益田
3連と短く寂しい特急「おき」 益田


 「おき」の乗車率は自分の乗っている3号車で40%程度である。指定席車や喫煙者はもっと空いていたから、全体ではさらに低いと思う。こんなに撮影している人がいるのに、惜別乗車は少なくがっかりである。まあキハ181とはいえ、普通列車よりは圧倒的に速い。キハ187系になったらもっとスピード出るのだろうなと感じる。山口線内で大雨につき徐行運転中という放送が流れて天気を心配する。益田に着いた時には雨は強くなったが徐行は解除されたようだった。

 益田からもキハ47系の普通に乗る。自分の乗っているのは窓枠が黒ゴムかされたものであり、車内もきれいである。すれ違うのはキハ120の単行が多い中、移植な存在のようにも思える。というのは、単行列車をキハ23からキハ120に置き換えているためか、2連以上の列車と運用を分けているように思える。連日の疲れから半分寝た状態で山口県内に入り、高校生が乗ってきて目が覚めた。
 長門市ではフィルムを購入し、キハ40の単行で小串まで。6年前に乗った時には宇徳敬子を聞きながら小倉から益田まで乗ったので、今日も宇徳敬子を聞きながらのんびりとした海を眺める。ロマンチックさがマッチするのだろうか。
小串で下関ゆきDCに乗り換え。2両編成である。しばらくはのんびりとした風景であるが、下関に近づくにつれて都会になっていく。メガロポリス・北九州市へ向かう人の路線という感じ。山陰本線でメガロポリスに向かう部分というと京都側を思うものであるが、こちらも立場は似ている。なんだか10年前の京都口を見ているようである。京都口は電化されて10年ほどになり、利用客も一気に増えているが、電化される前の京都口はこちらより本数、利用客などで上回っていたが、2両のDCなんかも走っていて同じような光景であった。
 ふぐの町、下関で「ふくてんそば」を食べ、小倉へ向かう。下関はホームが4面あったりして1台ターミナルであるが、なんだか寂しい。DCが到着した山陰線ホームから門司方向への列車案内は「いそかぜ」などだいぶ先の列車を表示してある。昔は門司まで走る列車が結構あったのだが、日豊本線からの列車に押されて減ってしまった。
 関門トンネルを抜けて、小倉へ。「WAIWAIカード」というJR九州と地下鉄で使えるカードを発見したので、3000円分買っておく。まあ今回の滞在で十分使えるだろう。しかし各社でばらばらの方式が登場するのは嬉しいことではない。Jスルーカードが使えないのかと言いたくなってくる。
 小倉ではデジカメのバッテリーを探す。町の中心街を歩き、「カメラのドイ」を発見。充電パックがあったので購入し、店で30分ほど充電してもらった。充電してもらっている間にJOYROADで今晩の宿「博多シティホテル」を確保。シャッターが降りているそごうや、道路の両側に「三井住友銀行」といった光景を見る。何だか蒸し暑い。本州ではクーラーの影響もあったのか暑いとは感じなかったたけど。
 小倉からは門司港へ出て、いよいよ筑豊本線直通の50系客車に乗る。50系は同線と海峡線で使用されているが、海峡線のはこちらは車体も青く塗られ、車内も改造されており、昔の面影が少ない。原型の50系といえばやはり筑豊本線しかないのである。しかし筑豊本線線は10月6日に電化されるため、赤い50系客車はこれで見納めである。
 筑豊本線は50系客車に乗るのは6年ぶりで、前回乗ったのも筑豊本線。この頃には既に北海道、本州からは撤退、九州でも久大本線とここにしか残っていなく、数年したらなくなるだろうと思い、筑豊本線(若松−飯塚)で乗り納めをしたつもりであった。
 しかしその後も筑豊本線ではずっと残っていたので、もう一度会いたくなったというわけ。それで区間を変えて門司港発にして、時期も夏至近くを選んだ。ここまで残ったのは、おそらく冷房改造されていたからであろう。




50系客車と新装まだ数年のスペースワールド
50系客車と新装まだ数年のスペースワールド


 列車撮影のあと、門司港を定刻に出る。まだ乗車率は低いが、小倉でどっと乗ってくると思う。鉄道ファンも5人くらい乗っているようであった。小倉ではどっと乗ってきたが、休日のため80%程度であった。開業して数年のスペースワールドでは通過待ちのため7分ほど停車する。快速に乗り換える人、煙草を吸う人などがいる新駅で、自分は50系というアンバランスさに「これが最高」と浸り、ホームで撮影。
 黒崎から本線の線路を離れ、折尾から筑豊本線に入る。複々線だった栄光のある「夢のあと」を感慨にふけったあと、ノートパソコンで友達に報告メールを打つ。乗車中に書いたものなので情景が直結すると思うので内容を記す。
「門司港1721発の飯塚行き2647レ、直方に間もなくさしかかるところ。乗車率は休日ということもあり、小倉出た時点では80%に留まった。平日だったらもっと高いであろう。電化工事も大方完成している。先頭はなぜか12系のグリーン仕様。電源車として使用している模様。(後述:開放型のトイレが禁止されたために、廃車間近の50系のトイレをタンク式に改造するよりも、タンク式トイレの12系を1両だけ連結して代用する方を選んだと言うことのようである)
 ちょうど夏至に近い時期を狙っていったので、18時50分だというのにまだまだ明るい。飯塚着いても明るいだろう。門司港から乗車した鉄ちゃんもちらほら見かける。「おき」に比べると少なかったが、こっちは乗車派が多い。グリーン座席ということで12系に乗っている人もいるが、ここはやっぱり50系。
 50系の中でメール打ったり、携帯電話をかけたりという、登場当時なら考えられなかった組み合わせを目の当たりにする。かくいう自分も倉木麻衣を聞きながら50系でインターネットの世界。このメールも、50系の車内で打っている。」




50系客車様、お疲れさまです。 飯塚
50系客車様、お疲れさまです。 飯塚


 飯塚でも撮影。今回の50系は、本当に、「お久しぶり」という感じであった。
 飯塚からDCで博多へ行く。ここも電化されればなくなるだけに、実は乗り納めなのだけど50系に比べれば感慨はほとんどない。20時前でも明るいのはさすがこの時期の九州である、ということの方に気を取られている。博多ではお土産を買って、重い荷物で途中休憩しながら徒歩5分のホテルに倍ほどの時間をかけていく。今夜はラーメンにしようと天神へ行くことも考えたが、疲れていたこともあり、博多で済ませることに。ということで昨年行った「一蘭」へ(詳細は昨年の旅行記参照)。今回は行列もなく、ラーメンと替玉を頼む。味は濃くしたり、唐辛子の量を多くしたりして味を変える。濃い味はコクが出て良かった。麺は固く感じたので、替玉は「超やわ」に変更してもらった。客の希望でこってりにもできるけど、基本はあっさりなんでしょうね。
 その後駅に明日の指定席券を買いに行き、この日は疲れを癒すため荷支度途中で寝ることにした。


2001年 7月 2日 「西鉄50番バス」と寝台特急「あさかぜ」


 本当なら6時過ぎに起きる予定が、目が覚めたのは7時前であった。今日は甘木鉄道、西鉄50番バス、西鉄天神大牟田線、宮地岳線、「あさかぜ」に乗るのである。「あさかぜ」下関1650発なので、宮地岳線に乗り終えてJR福間駅1505発の快速に乗っておきたいなあ、ここから逆算すると天神は13時、大牟田12時、50番バスはよくわからないから2時間見て久留米には10時か…と思いながら時刻表とにらめっこ。結局、博多819発の快速で出て、甘木鉄道に乗ることにした。
 朝は快速が少ない。これより前で甘木への乗換駅、基山に行こうとなると普通なので、40分にもなる。博多−鳥栖間ほど普通と特急の所要時間差が有る複線区間はないであろう。811系であるが、座席が変わっていて813系塗似たような感じである。南福岡には門司港行きが4本も並んでいる。今日は学生らしき人がいっぱい乗っている。今日は夏休みとっているんだ…、と平日を実感。
 基山で甘木鉄道に乗り換え。レールバス2連であったが、ラッシュの折り返しなのでお客さんはまばらである。確かに基山についた列車は結構乗っていたけど…。2軸のレールバスは久しぶりという感じ。加減速がいいので、発車時に背中に来る重力感が鉄道離れしている。ちなみに甘木鉄道は第3セクター路線の中では優秀な方であるらしい。甘木から天神なら西鉄でも、博多へ行くならこっちの方がいいな。
 甘木からは西鉄で久留米へ。600系2連で、ワンマン列車であった。甘木を出たとこでは少なかったが、久留米へ向かう人が多いのか、徐々に人が増えてきた。途中、学校前駅からは小学生が大量に乗ってくる。社会見学でどこかの工場を見に行くらしい。天神方面への乗り換え駅でもある宮の陣では小学生たちも含めて結構降り、久留米で残された人々と一緒に下車。
 久留米からは西鉄バス久留米−大牟田線、通称「西鉄50番バス」に乗車。このバスに乗るきっかけとなったのはとある時刻表仲間の影響であるが、大牟田へ行くのに西鉄で折り返したりJRで行ったりというのも面白味にかけるし、このバスは長距離を走る路線のひとつということもあって乗ることにした。5月1日の改正前は大牟田まで直通していたが、この改正で船小屋乗り換えとなってしまったのは残念である。




西鉄バス久留米−大牟田線 50番バス同士の交換
西鉄バス久留米−大牟田線 50番バス同士の交換


 久留米では100円のプレミアムがつくこともあって西鉄のバスカードを購入。1023に定刻通り西鉄久留米を発車。結構お客さんは乗っているはじめは信号待ちでいらいらさせられたが、国道に出るとひたすら50番バスは船小屋目指して走るが、徐々にお客さんは減ってきて、まばら状態。「大牟田31km」の標識が…、路線バスだけでこんな長距離進むのかと実感する。あとで知ったことであるが、西鉄バスでは昔は「きりのいい番号」を長距離路線の系統番号に充てていたらしく、この路線もそれに習って「50」というきりのいい番号としたそうである。
 途中、羽犬塚といったJRの主要駅へ寄る。JR主要駅周辺では乗客が乗りこんでくるが、他は空いている。国鉄時代の頃の本数の少ない時代ならともかく、ここまで列車が増発されたらバスで久留米に出るなんて物好きでないとなかなかしないだろうな。船小屋で乗り換え、バスカードを使う。乗り換え客は自分1人のようだ。バスカードだと90分以内に乗り継ぐと次のバスが自動的に80円割引になるということも知る。
 船小屋は西鉄バスの営業所があり、50番バスだらけである。1時間バスに乗ってもまだ半分である。接続時間を調べていなかったので次にバスがあるか心配であったが、幸いにもちょうど5分ほどしたら大牟田行きが来るところで、ホッとした。船小屋までは15分間隔だったのに、その先は1時間間隔。そう思ったら軌跡でもある。撮影の後、大牟田行きに乗車、自分のほかに何人かいた。
 船小屋までは街中を走るバスであったが、その先もちょっとだけ田んぼが広がったと思いきや、瀬高の街並になってきた。1時間毎なので50番同士のすれ違いは貴重なもの。すれ違うそしてついに大牟田市へ突入、乗客も増えてきた。途中、延着証明をもらおうとした人がいたが在庫がなくて困っているみたい。7分ほど遅れたようである。バスは大牟田営業所まで行くが、自分は大牟田駅前で下車し、西鉄大牟田駅へ。直通していた頃は1000円札を運賃箱に突っ込むといったことができる、35kmも街中を走るバスであったが、これでも十分に長い。とはいえこんなバスって全国にもそうないだろうな。




大牟田駅で待機する8000系特急
大牟田駅で待機する8000系特急


 西鉄特急で福岡(天神)へ。方向幕に天神という文字が入っていて違和感があったが、今年から路線名は「天神大牟田線」、西鉄福岡駅は「西鉄福岡(天神)駅」に改称したと知った。特急は30分に1本。一番前の展望席を確保。少し時間もあるから撮影。定刻の1251に発車。福間1505は厳しいなあと思い、もう1本遅くても大丈夫と判断。もう2本遅くなると下関の乗り換えが3分となり、車内で立席特急券を買うことになるから避けたい。
 大牟田付近は複線であるが、途中、単線区間が結構あるが、特急同士がすれ違うところは複線になっている。単線区間は結構あって、最終的に試験場前(久留米の2駅大牟田寄り)以北にならないと複線にはならず、そんな中を30分ヘッドで走っているのかと思うと感心する。とはいえJR奈良線も似たようなものであるが、こっちはまだ複線区間が中途半端だし。久留米からは隣に人が座ったが、向かいから来る普通、特急列車を撮影。元特急の2000系も時々来た。そして1時間ほどかけて天神へ。
 天神では時間がないので地下鉄に乗りかえるだけ。貝塚で宮地岳線に乗りかえるが、宮地岳まで行くと折り返し福間でJRに乗りかえるのがきついけど、行ってみることにした。同じ西鉄でもこちらは天神大牟田線と違ってのんびり。車両も自分の乗ったのは本線でも活躍している600系であったが、すれ違う列車は300系や313系。小学校の頃に九州へ行ったときには300系が本線を昔のツートンカラーで走っていたのを見たけど、今は2000系のようなクリームに赤い帯、これが宮地岳線の色になっている。終点・宮地岳ではすぐ折り返し、福間へ。時間は1513である。タクシーを捕まえたかったが車らしきものはほとんどなく、仕方なく歩いてJR福間へ。何キロあるか分からないけど行ってみよう。やがて大通に来たけど、乗る予定の列車の時間は過ぎていて、タクシーを捕まえる前にJR福間駅の手前のバス停が見え、これなら歩いていってもいいやと思い、JR福間まで結局は歩いたことに。少し走ったので15分でついた。距離は1キロちょっとといった感じ。でもおかげで西鉄は大宰府線以外すべて乗ったことになる。
 さて福間から少しでも早く下関に着きたい。特急に乗りたいけどこの時間帯の特急は赤間通過なので快速で向かった方が速い。博多まで戻って新幹線というのも時間的に無理で、結局快速で下関に向かい、3分接続であさかぜに乗ることに。もう「乗れればええわ」といった感じであった。
 車内ではデジカメの撮影の準備等をする。結構大あわてであった。門司で下関ゆきに乗り換え。下関では急いで乗り換えが出来るように先頭車両に乗ったら、なぜかこの車両だけ冷房が故障。415系1500番台って新しい方なのになあ。
 下関であさかぜに乗りかえ。車掌さんに「乗車されるのですか?」と聞かれ、「はい、広島まで。立席特急券中で買いたいんですけど」というと「時間がないので中に入って、4号車のラウンジカーに移動してください」とのこと。
 車内に入る。明るい時間の客車というのはなぜか気分がいい。24系25形は何年ぶりだろうか、子供の頃のブルートレインブームの時に出ていた風景がそこにはある。B寝台車とはいえ、寝台以外にもデッキから斜めに入る入り口、数の多いトイレ(タテ向きのトイレを見て885系みたいと思った)など普通の列車とは違うから、格調高いものが感じられる。9号車から4号車まで車内を移動するが、客はほとんどいない状態。まあ下関から乗る人は少ないのは分かるけど、ちょっと悲しい。4号車についても自分1人で、特急券を買うときに「今日は他に立席特急券の客いますか?」と聞いたらいないようであった。とはいえ途中から乗る人もいると思うけど。あと、他に2号車に乗ってもいいとのことであった。
 あさかぜは山陽新幹線博多開業前の特急の走りである。1974年7月号によると、今のあさかぜに最も近いダイヤなのは「つばめ8号」が下関1704発、広島1951着であるから、20分ほど遅いものの往年の山陽特急を思い出させるものがあるらしいが、自分はまだ1歳の頃の話である。はじめはラウンジカーにいたが、TVや乗務員がいて車内が騒々しかったこともあって2号車へ移動。こちらも何人かいたが広島までの乗客ではなさそうである。あとから予約で埋まる1番、2番の席に腰を下ろした。




栄光の寝台特急「あさかぜ」の車内。まだ外が明るい
栄光の寝台特急「あさかぜ」の車内。まだ外が明るい


 途中、宇部、小郡と停車していく。いにしえの山陽特急気分と、寝台列車気分を同時に味わう。隣の寝台との仕切られているような感じで、コンパート気分である。リネン類をよけ、セットしてあるカーテンを空け、はしごを戻して昼間気分にし、寝台列車の昼間の気分を味わう乗客が少ないとゆったりとできるのはいい。下松と光の間では瀬戸内海と列車が入る有名撮影地があるが、当時2車線だった道路は8年ほど前に4車線になって雰囲気が変わっている。新幹線だったらあっという間の距離でも、のんびりと客車で行けばまた違って楽しい。車内ではデジカメ撮影、パソコンでメールなど自分の時間。夏至に近いのでまだまだ明るい。ここでもメールの内容を記す。
「夏休みを利用した九州旅行、昨日は50系客車に乗りましたが、今日も客車に乗ってます。その名も栄えある「あさかぜ」。広島までのヒルネ利用です。いつサンライズ化されるか分からないので、今のうちに乗っておこうというわけ。こちらも50系同様、夏至に近い時期を選んでます。今回の大回り乗車券はこのためだったんですねえ…。
九州内にたっぷり時間かけていたので、下関は発車3分前に到着。立席特急券は車内で買いました。そのため、列車番号「6」の貴重な車内補充券をGETしました。
下関では全部で乗客が2桁になるかどうか程度しかいなかったのですが、宇部、徳山など主要都市に停車する毎に10人程度乗ってきてます。広島でどっと乗ってくるでしょうな。
立席特急券の人は2号車か4号車(ラウンジカー)に乗車とのこと。はじめはラウンジカーにいたけど、これじゃ寝台らしくないので2号車に移動してきました。他に立席特急券の人はいなさそうです。パソコンははしご横の机でやってます。結構テーブル大きいから楽です。
広島からはレールスター。サイレントカー取ってます。あさかぜとは乗り継ぎ割引にならないのがいたいですねえ…。(サンダーバード自由席と乗り継ぎ割引にしているからいいけど)」
 岩国を過ぎたあたりで“ヒルネ”(立席特急券で昼寝することを俗にこのように呼ぶ)にと横になる。「日本海」あたりでも金沢−大阪間で立席特急券があれば利用するのにな。“ヒルネ”しやすそうですし…。宮島では落日を味わうと暗くなってきた。車内では広島で弁当を買うようにとの放送が流れる。車内販売がないのは問題かもしれない。ラウンジカーにもそれように場所は確保してあるのだからもったいない話である。広島には定刻の1958に到着。撮影後、新幹線ホームに向かった。
 広島で夫婦あなごめしを買って、ひかりRailstarに乗りこむ。さすがに混んでいる。
放送がならないのに乗客が乗り降りするというのは驚く面もあるが、音楽を聴いているとサイレンスカーと普通の車両の違いがあまり感じられない。とはいえ椅子の後ろにチケットホルダーがついているなどノーマル車と違う面もある。駅弁を食べながら福山、岡山…と停車して行く。岡山21時といったらいつもなら在来線で帰っている時間ではないかと思うと、何て速いんだろう。大阪へは2147着。さっき乗っていた「あさがぜ」はまだ岡山についていない時間である。285km/hとは何て速いんだろ。「こだま」と「加越」に乗り継げば金沢へ帰られこともあるが、実家でゆっくりするのである。
 新大阪からはいつもの帰省のような感じで実家へ。そして翌日、ノーマル雷鳥で金沢へは戻った。

 今回は実質2日間の旅行であったが、出雲市延長だいせん、キハ181系おき、50系客車、甘木鉄道、西鉄50番バス、西鉄天神大牟田線&宮地岳線、あさかぜ、ひかりRailstarと、限られた行程、時間を有意義に使ったといった感じ。はじめは広島でもう1日粘って撮影することも考えたけど、荷物が重かったこと、十分旅行できたことから見送ることにしたことを追記する。





今回の旅の簡単な行程です。


6/30
金沢→新大阪→大阪→(車中泊)

7/1
→出雲市→江津→益田→長門市→下関→小倉→門司港→飯塚→博多(博多シティホテル 泊)

7/2
博多→基山→甘木→西鉄久留米=船小屋=大牟田→福岡(天神)→貝塚→津屋崎→西鉄福間…福間→東郷→門司→下関→広島→新大阪(帰省 泊)

7/3
新大阪→京都→金沢
posted by うえしょう at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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