1998年08月09日

1998年8月 よさこい四国、はじめての周遊きっぷ

 まずこのページの作成記念に、この8月4日から9日まで四国を旅行したことを記していきます。今回の旅行はゼミでの旅行なのですが、現地集合・解散を活かして、ほとんど四国で特急には乗ったことがなかったので、この機会に周遊きっぷを使って四国を乗り回そうと思ったのです。きっぷはこの4月から従来の周遊券に変わって登場した「周遊きっぷ(四国ゾーン)」で、行きは「ムーンライト高知」のグリーン車、帰りは新登場の「サンライズ瀬戸」を利用することに。以下、この旅行での出来事を記します



1998年 8月 5日 四国旅行1日目


 昨日の「ムーンライト高知」は、最高であった。
 新大阪を2359に出た。グリ−ン車の座席は、ひざ置きが付いており、さらに独立した足置きがある。別になっているので、足の長さに合わせて自由に置けるのが良い。それにうれしいのが座席に付いている小物入れ。盗難防止のほか、私の場合だとヘッドホンステレオを入れて音楽を聞くのに使った。こうすると手元に置けるので便利だ。このように優雅なのは利用者側にとっては良いが、座席定員は33人と少ないのでJR側にとっては収入が見込みにくいのではないか。
 大阪駅でけっこう乗って来た。ホームに列着する時に見えた列は長い。今は18きっぷのシーズンなので、座席指定車が1両(「ムーンライト松山」も入れると3両)連結されており、さっきの行列はこの席への列だったのだ。
 私が今まで乗った夜行列車の中で、最もデラックスなのはもちろん「トワイライトエクスプレス」のロイヤルだけど、寝台車両を除くとこれである。「ミッドナイト」などのカーペットカーもいいけど、独立座席で幅は新幹線のグリーン車なみだから「ムーンライトえちご」(最近足置きがなくなったが)や「はまなす」のドリームカーよりも良い。
 加古川までは記憶があるが、姫路と岡山は知らない間に通過してしまった。でも途中瀬戸大橋は11分30秒でのんびり通過していったのを見た。多度津、阿波池田とも覚えているが、半分は夢の中状態。土佐山田の手前の駅でスイッチバックするあたりからは完全に起きていた。
 高知で下車すると、何と東京の知り合いに会う。彼女は広島に行く途中に時間が合ったので高知に来たとのこと。私と違って18きっぷだったので普通車に乗っていたのだ。そして二人してウイリーウインキーでパンを買い、私は南風で、彼女は土電で来た道を引き返すのだ。
 南風の後、多度津から引き返し、キハ185の好きな部の同輩が撮影をしていた、というポイントでもある津島ノ宮へ。津島ノ宮は8月4日と5日しか営業しない臨時駅で、363日は休日である。ちょうどこの日は営業日だったので寄ろうと思ったのだ。そして300円で津島神社にお参りした。結構人はいたが、参拝客が大半で鉄ちゃんは見なかったなあ。
 そして121系で坂出へ。車内に乗っていた女の子2人が話しているのを耳にする。「汽車と電車ってどう違うんですか?」「ウィーンウィーンっていうんは電車で、古い白い車両でゴトンゴトンっていうのは汽車。岡山や松山行くんとか、高松の辺走っているのはだいたい電車。何で私こんなに詳しいんやろ…」「じゃあ高知ヘ行く特急は?」「新しいけどあれは汽車。電車を見分ける屋根にひし形のもんが付いてたら電車」といった感じ。私は「こいつ『道ちゃん』やな?」と思いながら見ていた。でも多度津で111系が停まっているのを見て「あれは汽車」と言っていた(111系は古い車両だけど「電車」)。坂出からうずしおと接続するが、さっきの子は「うずしお乗りたい。けどYOUNG WEEKEND CARDの期限切れちゃったし…」。何だか四国に居るという実感がする。




小松島駅跡のC12+50系客車
小松島駅跡のC12+50系客車



 私はうずしおに。はじめ間違えて指定席に座ってしまったが、でもすぐ自由席に移ったので問題なかった。高松でどっと人が乗ってきたが、4連なこともあり席れないというような事はなかった。55分で徳島に到着というのはさすがに速い。バスの半分!?。
 徳島からは牟岐線で中田へ。以前はここ中田から小松島港まで小松島線という最も営業キロ数の短い(1.8km)路線だった。現在では宮崎空港線かな?夏にトワイライトするのは暑い。汗がダラダラ出る。そんな中、小松島に行くとC12と50系客車が停まっているのを見つけた。
 50系はいつ廃車になったものを持って来たのかな?と思って車端部を見たら、平成3年に工場入りしていることから、平成4年まで高徳線で使っていたものだろうと思う。ここで余韻に浸ってから、小松島港まで歩くと、南海のマークが見える。関西にいるのかと思う。「鉄道廃線跡を歩く2」にあった小松島港駅のホーム跡を使ったバスターミナルがどこにあるのか分からなかったので、地元で犬連れて散歩していた人に聞くと、数年前に取りこわされ道路になったという返事が返ってきた。残念である。
時間が少なくなっていたので、帰りは走って南小松島に出た。そして阿波富田。暑かった。


1998年 8月 7日 今日は九州


 ゼミ旅行も無事終わり、助教授らが出発するのに合わせて私も出発、阿波富田から「剣山」に乗る。吉野川は清流のように美しい。四国の川はどの川も清流みたい。
 阿波池田で「南風」に乗り換え。ここでJRバスでチャレンジ20,000kmみたいな企画をしているのを知る。南風は5連だったが大変混んでおり、私は4両目の乗務員の所の椅子に座る。この車両はN2000系だが高知止めなので高知に着く前に前の3両に移動しなくてはならない。大歩危では5人しか降りず、高知までこの席にいた。暑いのが欠点だが、この席は半個室の状態なのでまるで「歌い放題」である。さすが2000系、大歩危付近でも80〜100km/hで走るので速い。




宿毛−佐伯間を結ぶフェリー 佐伯港にて
宿毛−佐伯間を結ぶフェリー 佐伯港にて



 高知に近くなって何人かが3号車へと移動したので、私も移動。見事、座席が確保できた。それと同時に、大量の乗客が乗ってきた。高知から3両というのは短いのではないか。佐川、須崎と停車するも、ほとんど降りない。窪川でほぼ立客はなくなる。ここから車掌が女性になり、土佐くろしお鉄道に入る。ループを週ぎて、少し行くと海が!これまた清流!
 そして中村、乗客の7割ほどが下車、一気に軽くなった。ここからは昨年開業した区間。本家・清流の四万十川をわたると、120km/hで駆け抜けて行く。
 宿毛からはフェリー乗り場のある片島まで2kmほど歩き、佐伯ゆきのフェリーに乗る。型にはまらない「四国一周の旅」である。
 佐伯からはJR佐伯駅まで歩き、ここで18きっぷを買うことに。423系でのんびりと九州の道を。大分って意外と近いと感じた。あと今日は大分でお祭りがあったためか、夜なのに、客が多いのにびっくり!
 別府では駅前高等温泉(どこが“高等”やねん!狭いし…)に入り、家に電話したあとフェリー乗り場へトボトボと3キロほど歩いた。今晩は八幡浜行きのフェリーで寝るのだ。当初はこの日、松山YHに泊まろうとしたのだが、この日は高校総体客が多くて取れなかったために断念し、そのために九州にわたることにしたのだ。



1998年 8月 8日 八幡浜から再び四国一周


 八幡浜には230に着いたが、船内休憩ができるのでそのまま寝てたら、係の人に「お客さん、時間ですよ」と起こされた。時はすでに455、他の客は見当たらなかった。
 早朝の八幡浜を歩く。フェリー乗り場に地図がなかったので、はじめ市役所の方に向かったら、駅に近付く気配がしなかったので戻りながら南下?する道を行くと、ようやく線路が見えた。間違えながらゆっくりだったので、50分ほどかかったけど実際は1kmほどだろう。




松山に到着した宇和海。右に写るのは8000系しおかぜ。
松山に到着した宇和海。右に写るのは8000系しおかぜ。



 まず宇和海に乗る。朝早いのに八幡浜から30人くらいはいただろう。“内山線”(伊予大洲から内子を経由する側の新線の通称)あたりはかなり飛ばしていた。松山で「いしづち」に乗り換え、多度津へ。多度津からしまんとに乗っても良かったが、6000系に乗りたかったので宇多津までゆく。この車両なら瀬戸大橋渡るのも快適だろう。またゆっくり乗りたい。多度津で今日も111系を見たが、かなり老体にムチを打って頑張っているという感じがした。岡山まで入る111系が全てこれになるのも時間の問題かな?
 宇多津から「南風1号」に乗る。昨日阿波池田から乗った列車である。今日は土曜ということで、昨日より混んでいたため、私は立席となった。阿波池田まで40分くらい立っていた。阿波池田からはトロッコ列車「おおぼけトロッコ」。WENSのツアー客などで満席、トロッコ列車の人気をうかがわせてくれる。明石海峡大橋もできたことだし、また大歩危という立地条件も良いのだろう。こちらは1+1両(キハ185+キクハ32)だが満員であった。
 大歩危から「南風3号」で高知へ。そしてバス南国号で松山ヘ。途中「チャレンジ」のため久万高原と松山でバス停バックに撮影。松山から今度は下灘の夕日を見に行くため、伊戸長浜経由八幡浜ゆきキハ32に。ここの夕陽は有名で、7月の終わりに読売新聞にも出ていたこともあって、行ってみたくなったのである。




伊予長浜方面八幡浜行きキハ32普通
伊予長浜方面八幡浜行きキハ32普通



 松山を定刻に出た列車は、途中少しずつ乗客を降ろしながら行く。伊予市を過ぎ、向井原から旧線に入ってしばらくは山の中を走るが、しばらく行くと、瀬戸内海。内海なのに周辺に島がないからか、きれいで見事なタ日である。このキハ32という広いキャンバス一面に描かれた夕日は絶景である。明日の朝日を夢見て夕日を見るのだ。
 下灘では夕焼けの駅を干渉しながらこの風景を何枚も写真に撮る。夕日に描かれたシルエットが何ともいえない。自分の入ったのも…。
 やがて松山行きがやがてやってくる。1時間余りのタ日見物。こうした所へはブルーな時に来るといいかもしれない。
 松山からは市内電車で道後温泉へ。YHもチェックイン。設備はホテル並みにゆかた、タオル、歯ブラシがあり(自由に使える)、朝シャンもできる。朝食もホテル並みのバイキング。シーツなどにYHらしさもあるが、まさに西の横綱である。
YHから温泉に。結局、本館の「神の湯」に行ったが、「西浴室」が改装中だったこともありは「東浴室」はとても混んでいた。「椿の湯」に行ったらよかった。この日は2330に就寝。


1998年 8月 9日 しまんととよさこい


 朝、松山で起きたら7:00。しまった…!これじゃ「椿の湯」に入れない。朝6時に起きて温泉行こうと思ったのにこれじゃ時間がない。朝食は主食がバイキングでパンかごはんが選べる。私はごはんにした。
 行きがてらに温泉行くことも考えたが、万一のことと、ゼミ旅行でやけどした足のことを考えてやめた。そしてYHを後にし、公園前から松山駅前まで市内電車に乗った。何とか次に乗る「宇和海」には間にあったようだ。
 宇和島からは「清流しまんと」に乗る。キハ54にトロッコを連結するという形。通常予土線を走っているのはキハ32であるが、トロッコを引くには非力なことからキハ54が使われるのである。今日は日曜日ということもあって、普段はローカル色の高い予土線が、観光客でかなり混んでいた。清流しまんとは通常のダイヤに挿入した形の列車なので、普段利用するお客さんも多いのか、車内は立ち客も結構出ている。
 途中、魚がいっぱい描かれたキハ185の臨時特急「I LOVE しまんと」にすれ違う。こちらは臨時ということもあってかお客さんが少ない。理由はやはり臨時だからなのか、所要時間がかかるからなのか…。ペイント特急としては後発の「あい」(徳島−阿波池田)がそこそこの乗客を乗せて走っているのに、寂しい限りである。

 江川崎からトロッコ車両に乗る。トロッコも宇和島を出た時点では満席とアナウンスされていたが、江川崎発車直後では「残席が2席あります」とアナウンスされた。たぶん機械の関係で“ダブリ発券”(重複発券)があった場合のための席だろう。結局この席もすぐにキハ54にいたの2人の乗客が利用することになった。さて、「清流しまんと」はというと、トロッコで川のほとりをのんびりと走る。ダイヤも通常のものから若干寝かせてある(ゆっくり走る)が、代わりに土佐大正での待ち時間を減らしているので全体の所要時間は変化しないようになっている。四万十川は途中沈下橋がたくさんあって驚く。沈下橋は堤防が低いからあるわけで、堤防が低いからまさに清流なのであって、そう考えると沈下橋は清流のシンボルなのかもしれない。そうこうしているうちに土佐大正につく。おおぼけトロッコとは違って貨車改造のトロッコだったので、走行音や乗り心地が面白かった。これはいい列車だ。
 若井からは一駅だけ土佐くろしお鉄道に。一つ気になったのは、土佐くろしお鉄道では休日にワンマン列車に乗ると半額になるというキャンペーンを進行中であるが、これは予土線のワンマン列車の窪川−若井間でも適用されるのでだろうか。私の乗った普通列車は、「清流しまんと」として運転されるときははツーマンなので、18きっぷの客を中心に、正規の200円を徴収していた。しかし通常時のワンマン列車だったら、こうしたお客さんは100円しか払わなくで済むのだろうか。
 窪川から普通に乗り「二尺玉三発」の花火大会が開かれたという須崎に寄って、よさこいの街、高知へ。よさこい祭りの案内所に行き話を聞いてパンフレットをもらってから、土電に乗ろうと御免に行くことに。周遊きっぷだと特急で行けるので速くて便利。後免町からの土電はいつもは1時間に3本なのに、今日は特別ダイヤで約7分おきに運転されていた。この日は前夜祭で、花火を見に行く客でいっぱいで、はりまや橋で降りるのにも苦労した。




'98よさこい祭り前夜祭の模様
'98よさこい祭り前夜祭の模様



 よさこい祭り自体は、前夜祭ということで中央公園のステージでよさこいを踊っている。地元の人が多い中、北海道「YOSAKOIソーラン祭り」のチームや鳥取からのチームも駆けつけてきた。結構人が多かったとはいえ、大阪のお祭りに比べれば少ないもの。そこそこステージを見ることができた。確かに誰でも簡単に参加できそうで、若さあふれるパワフルさがある祭りというのは少ない。そもそも、このよさこい祭りが高知で始まったのが1954年だから、歴史的にも浅いのに全国的に有名になっているのはすごいと思う。それが札幌などに広がったのもまたすごい。
 帰りの時間が迫っていたので、ステージは40分ほど見て後にした。帰り道、高知駅周辺から花火が若干見えた。音は結構響き渡っていた。そしてお土産を買って、特急「しまんと」に乗り込んだ。
 「しまんと16号」はTSEであった。TSEは2000系の初期型で、ローレル賞のプレートが捧げられている。量産型の2000系には冷風口がないが、TSEにはキハ185系同様、冷風口が付いているので、よさこい帰りには涼しくて良かった。途中対向列車が遅れて、「サンライズ瀬戸」に接続しないのではと危惧したが、阿波池田で3分遅れていたのが坂出で1分程度の遅れとなり、「サンライズ瀬戸」も発車を待っていたこともあって無事接続した。
 「サンライズ瀬戸」はやっぱり快適、「寝るのなら」である。というのは、今回大阪で下車する私のように「昼行列車」感覚で利用するとなると、座るのに苦労する。ノビノビ座席が583系のようにまん中の通路をはさんで両側にあるという形式ならまだ良いのだけど…(こうすると定員が若干減るかもしれない)。リネン類やカップホルダー用の紙コップなどのサービスもあったが、は、途中から乗客が来るかもしれないと考え、使わないようにした。読書灯や個別の冷風口などサービスも良いが、「斜めにじゃないと座りにくい」ということもあって、他のお客さんも座っている人は斜めになっている人が多かった。
 岡山で「サンライズ出雲」を併結し14両編成になった。少ししてミニサロンに行ったが、先客のおばちゃん連中が23時半まで占領していたので、結局加古川付近でおばちゃんたちがいなくなってから行った。ちょうど舞子付近も通過したので、明石海峡大橋のライトアップがきれいだった。そうこうしているうちに三ノ宮を出る。対向列車は大阪からの帰宅客という感じで、こちらは優雅なものであった。
 大阪に到着する。ホームを見る限り、大阪からのお客さんも10人以上はいるようであった。一方、大阪までのお客さんは結局3人いた。みんな考えることは同じなのだなという感じであった。また、私の使用した座席に大阪からの乗客がいるのかどうか気になったので、サンライズ瀬戸の発車直前に外から見た(あらかじめ外から見えるように、自分のところのカーテンを開けておいた)。どうやら誰も使用していなかったようだ。もったいないような気がするが、ひょっとしたら静岡以東で誰かが使用するのかもしれない。
 大阪から終電の高槻行きで吹田まで出て、自宅へ戻った。





今回の旅の簡単な行程です。


8/5
新大阪→高知→多度津→津島ノ宮→坂出→徳島→中田(廃線跡めぐり)南小松島→阿波富田(2泊)

8/7
阿波富田→阿波池田→宿毛(徒歩)宿毛(片島)(フェリー)佐伯→別府(フェリー泊)

8/8
八幡浜→松山→多度津→宇多津→阿波池田→大歩危→高知→松山→下灘→松山→道後温泉(泊)

8/9
道後温泉→松山→宇和島→窪川→須崎→高知→後免(徒歩)後免町→はりまや橋(よさこい祭り見物)高知→坂出→大阪→吹田
posted by うえしょう at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。